1949-06-15 第5回国会 衆議院 地方行政委員会 第31号
○大泉委員 当然犯罪檢挙とかあるいは予防とかいうような犯罪件数の多いところには多く配置しなければならぬと思いますが、ともかく自治体警察の設置というものは、先ほど中島先生がおつしやつたように、自治体の住民一人一人が警察の心になつて、いわゆるどろぼうとか、凶惡犯人とかいうものの住みどころがなくなるというように徹底したものでならぬ。
○大泉委員 当然犯罪檢挙とかあるいは予防とかいうような犯罪件数の多いところには多く配置しなければならぬと思いますが、ともかく自治体警察の設置というものは、先ほど中島先生がおつしやつたように、自治体の住民一人一人が警察の心になつて、いわゆるどろぼうとか、凶惡犯人とかいうものの住みどころがなくなるというように徹底したものでならぬ。
その事由は私どもとして承知いたさないのでありますが、前後の事情から私ども考察いたしますならば、警察側としましては、長い内偵の結果鎌田の所在をようやくつきとめまして、当日になりまして、指名手配の凶惡犯人を今こそ捕えるのだということで用意してかかりました。そうして周囲の者に聞きまして、いよいよここにおるということを確認いたしまして乘り込んだのであります。
つまり凶惡犯人を檢挙するというはつきりした自覚を持つて捜査に出たことは疑い得ないと思います。そうしてその目的とする被疑者がそこにおるのであるといつて、当該の家に行つた。ところがばたばたと逃げ出した。逃げ出したというのは警察官に聞いてもそう言いますし、被害者の叔母がおりますが、叔母と話したら、その少年がばたばたと逃げ出した。この点けだし推定できる点だろうと思います。
○猪俣委員 凶惡犯人を捕える警察官が非常に緊張しておつた。それはまことにもつともなことである。しかしどうもわれわれが輿論を聞いてふに落ちないのは、その凶惡犯人は二十八歳の非常に長身の大男である。またこの射殺された少年は十八歳のしかも普通人よりは小男で、五尺そこそこであるという点、年齡から身長のぐあいから、もう明け方間もないことでありまして、決してまつ暗やみではないはずである。
不正の事実といたしましては、堺脳病院が曖昧なカルテを作成していること、即ち凶惡犯人である浜田光雄は、昭和二十一年の四月に麻藥中毒患者としてこの堺脳病院に入院したが、その後二十日間で麻藥中毒は全治いたしましたにも拘わらず、その後引続いて治處後も浮浪者の病人として取扱われてここに收容されておつたのであります。そういうカルテの作成という不正事実が現われて参りました。