1952-03-04 第13回国会 参議院 予算委員会 第14号
即ちこの冷戰の中における必要なる軍備というものは、恐らくは非常に微妙な複雑な問題を孕んであるに違いないと思うのでありまして、公共事業費というものでさえ極めて査定は困難でありますが、こういう問題になりますると、なお更どこまでが必要で、どこまでが不必要であるかということは、むずかしかろうかと思います。
即ちこの冷戰の中における必要なる軍備というものは、恐らくは非常に微妙な複雑な問題を孕んであるに違いないと思うのでありまして、公共事業費というものでさえ極めて査定は困難でありますが、こういう問題になりますると、なお更どこまでが必要で、どこまでが不必要であるかということは、むずかしかろうかと思います。
それによりますと「サンフランシスコの冷戰、凄じい米ソの対立、来てみて知る中立の不可能」という見出しのもとに「コールド・ウオー(冷い戦争)のすさまじい姿を現実に見て驚、くというよりはある種の戰慄を覚えた。ソ連並びにその衛星国が場内に現われると一種の殺気が走り、ソ連がいなくなつた調印式はまるで家族会議のようななごやかさであつた。」といつております。
現在米ソの対立は冷戰と世間では呼んでおりまするが、この冷戰が変じて熱戰となるか。或いは又偶発的な事情によつてこの冷戰の対立が解消して行くのか。我が日本の憲法はすでに武力というものを保持しない。戰備というものを放棄しておる。いわば階段的外交の終局の理想とするところの戰争のない社会、人類全体の安寧幸福をもたらすところの最後の段階を規定しておると言つても差支えないと私は思うのであります。
かような事情と当時の社会情勢を考え合わせますとき、これらの集団行動のあつた昨年の十一月、十二月の頃は、民主主義国家群と共産主義国家群との冷戰の酣であり、その国際外交もしばしば危局に立つて、いつ砲火の戰に突入するかも知れないという情勢の下に、国際共産主義の北朝鮮政府軍が、反共民主主義の大韓国をその治下に統一するため、中共軍の援けを得て、武力によつて再び三十八度線を越えて南鮮に侵攻していたときでもあり、
併しながら飜つて考えて見まするに、世界の冷戰の一当事国でありますアメリカが日本に駐兵いたしておりまして、さようなことはあつてはならず、あらしめてはならないのでありますが、冷戰が熱戰に転化するということを想定いたして見ますると、この日本に米国の進駐軍がおるということは、恰かも中ソ両国の脇腹に匕首を擬したごとき感を中ソ両国をして抱かしめるということが考えられるのであります。