1992-03-12 第123回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号
それから、JICAがもう一つ具体的にやっているのには農業総合試験場計画というのがありまして、私も宝清県それからジャムス、ハルビンと、現地の三、四カ所のJICAのやっている試験場を見てきたのでありますが、冷害試験であるとか育種の試験であるとか畑作の試験それから土地改良、排水の試験等々やっております。
それから、JICAがもう一つ具体的にやっているのには農業総合試験場計画というのがありまして、私も宝清県それからジャムス、ハルビンと、現地の三、四カ所のJICAのやっている試験場を見てきたのでありますが、冷害試験であるとか育種の試験であるとか畑作の試験それから土地改良、排水の試験等々やっております。
そこで、一つは、JICAが随分技術協力をして日本の総合農業試験場というのを四カ所ほどに分散してつくって、冷害試験、品種改良、作物の栽培等をやっておるんですが、日本の冷害を起こす最新設備を持っていっておるのです、援助として。これは温度を下げる施設ですが、ところが運営費が足りないので――電力が要るわけですね、ずっと冷害を起こすのは。
だから、耐冷品種のメッカとも言われるかもしれない青森県に、昭和六年から九年に至る冷害を克服しようとして、当時農林省がつくった冷害試験地というのがある。いまは県立の農業試験場藤坂支場になっているが、これができてから四十年経過しているのです。十年間は地上滑走の時期でしたよ。
しかるに、最近、藤坂の冷害試験場が新品種を創成いたし、これは相当前からでありますが、今日ではこの地帯は稲作も冷害にかからないという確信が持てる段階に達しているわけでありまして、そこで、いまこの地方の人々の希望は——ビートというのはいいそうだからビートでいこうじゃないかというので、これをやってきたのがいままでの現実でございます。
農林省全体といたしましては、品種の育成の一つの段階となりましたのは昭和九年の冷害でございまして、昭和九年の冷害のあと、西ケ原、現在の農業技術研究所でございますが、あそこに冷害実験室ができ、東北の各地に冷害試験地というものを設けまして、品種の育成には相当努力を払ってまいりました。
札幌の農事試験場では、大豆の冷害試験をことし初めてやった。ことし初めてである。何十年という間大豆を北海道でつくっていながら、試験を始めたのはことしが初めてである。その試験の結果から見ると大豆の開花時期の十日前、ここで冷害の障害を受けたらこの大豆はだめなんです。開花したあとに冷害を受けても育ちますし、さやがついてきます。
その後東根の山形県の総合種畜場、尾花沢の冷害試験地、新庄の農林省農業総合研究所積雪支所、同農村工業指導所を視察して、それぞれ所管業務の内容及び運営状況を調査いたしました。続いて萩野にある昭和開拓地に参りました。この開拓地は昭和二年入植が行われすでに三十年余の歴史を持っておりまして、陸稲、トウモロコシその他の作物が見事に成育しております。私たちはトラクター耕耘による試作圃を見学しました。
このため、本県としましては一、テンサイ栽培試験費の助成、二、水稲及び畑作物の増収をはかるための試験研究機関の整備、特に現存の藤坂冷害試験地の拡充、三、農村工業指導所の設置、四、農業改良資金の拡充強化、五、積雪寒冷期間における農村労働力利用施設費の補助などをさしあたり要望いたすものであります。
返済期限の延長、三、雑穀種子購入費の補助、四、技術改良普及指導費の増額補助、五、節米食生活改善指導費の補助、六、蚕桑病害虫防除費の補助、七、昭和二十八年産米価追加払の即時支払、又恒久対策としては、一、積雪寒冷単作地帯農業振興法の期限延長及び対象単位を五町歩以上にして欲しい、二、保温折衷苗代費の永続的予算化、三、営農資金の長期融資の実施、四、気象の長期予想施設の強化並びに農業気象観測施設の強化拡充、五、冷害試験施設
食糧自給促進法の早期制定に関する陳情 書(第九二〇号) 一二〇 同(第九二一号) 一二一 消費者米価値上げに関する陳情書外一件 (第九二三号) 一二二 水害地に対する農産種子助成金交付の陳 情書(第九二四号) 一二三 農林省茶原種農場地方移譲反対の陳情書 (第九二五号) 一二四 農道及び水路の新設改修工事に関する陳 情書(第九二六号) 一二五 同(第九二七号) 一二六 冷害試験施設
自作農維持資金拡充に関する陳情書(第九一九 号) 食糧自給促進法の早期制定に関する陳情書(第 九二〇号) 同(第九二一号) 消費者米価値上げに関する陳情書外一件(第九 二三号) 水害地に対する農産種子助成金交付の陳情書( 第九二四号) 農林省茶原種農場地方移譲反対の陳情書(第九 二五号) 農道及び水路の新設改修工事に関する陳情書( 第九二六号) 同(第九二七号) 冷害試験施設
につきましては、これは県の職員でございますので、県のほうで直接的に把握するという、指導普及のほうに活動させるというふうな形はとれませんが、これにつきましても、従来のやり方は何となく食糧の増産区であるとか、その他国策的に大事な部分の内容を必らずしも持たずに、ただ改良普及というふうなことを先ず各県々々でばらばらに考えておる、こういう形態が強かつたわけでありますが、それにはやはり国立の試験場或いは県の試験場、冷害試験地等
それで指定試験場として二カ所だけ、青森県の藤坂と、岩手の遠野という所だけが使われておる、こういう状態になつておりますが、今度の冷害の結果に鑑みまして、その前にありましたようなもので十分使えるような所とか、新らしく又必要が起つた所とかいうふうなところについて、冷害試験地を全部設けることになつて、先般の補正予算においてそれの施設のほうの経費は計上いたしました。
この保温折衷は、私の記憶では、昭和二十四年の九月にたしか原村の冷害試験地で講習会がありましたときに、私が参りまして北海道の温冷床と比べましていろいろ研究して参つたわけであります。その後二十五年の十二月には東北六県の保温苗しろ協議会がございました。このときにも保温折衷と北海道の温冷床、それから今の北海道の保温折衷苗しろ、すなわち紙被覆苗しろ、こういうものを検討したわけであります。
昭和九年の冷害以来東北各県には冷害試験地というのができまして、栽培の方法あるいは稲の品種の改良、こういうことをやりましてよい品種ができておりますが、何と申しましても、こういつたような品種は冷害に対しては確かに強いのでありますが、収量ということになりますと、とうてい多収品種には及ばないのであります。
当時は成績が非常によかつたといわれる陸羽一三二号は、今年度においては、ほかのそれぞれその後にできましたところの藤坂であるとか、あるいは尾花沢であるとか、あるいは遠野であるとか、そういうふうな冷害試験地でつくつた品種に比べると、格段の被害を受けておる。
またこれといい一つの事例は、岩手県の上閉伊郡であつたと思いますが、遠野冷害試験地を私どもは県庁の案内で見ました、職員は主任一名に助手が二名ばかりでありまして、わずか三、四名の人員である。圃場を案内してもらいましたところが、まあ高等学校の農場程度のものである。まつたく私どもは驚いた。しかもその周囲には山は紅葉しようとしておるさ中に、青立つて全然実らない稲の中に、その試験場がぽつりとある。
これは冷害試験地は全然ないわけではなくて、これは国の試験場の盛岡及び大曲でやつておりますほかに、青森の藤坂の冷害試験地はそのまま生かしてやつておるわけでもけれども、県でつくりました当時の冷害試験地というのは藤坂一箇所しか冷害試験地としては残していない、こういう状態であと五箇所ありましたものは全部なくなつておるわけであります。
いまさらこれは私から申し上げるまでもないことでございまするが、この東北地方の農業上における地位の重大性に鑑みまして、積雪地方農村經濟調査所とか、あるいは奥羽試験地だとか、あるいは各地方の冷害試験地、そうした政府の機關に對しまして、もつと總合的に、これを計畫的に配置せられますと同時に、内容を整備擴充せられまして、十二分に所期の目的を達成せしめられよう格段の御配慮を願いたいと思うのでありますが、それに對
こういうことでございますが、列擧主義の中にはそこに大きなものを掲示して、比較的輕微なものは氣象上の原因の中に全部引括めてしまう、こういうお考えのように承るのでありますが、そうといたしますならば農林省みずからが積雪地方農材經濟調査所を設け、あるいは昭和九年の大凶作以後、各地に冷害試験地というものを設けられておる。その御趣旨と相反しないかどうか、その點をお伺いたしたい。