1964-07-31 第46回国会 衆議院 法務委員会 第46号
松井名刺のあの冥賀警部が書いた、あるいは消した、その事実をあなた自身が発見すべきだ。ところが人権擁護局は何もそういうことについてはやっていないじゃないか。しかたがないから善意の人がみんな集まって、自分で労力を提供し、あるいはものを提供し、自分の負担で、みんな善意に燃えながらやっている。
松井名刺のあの冥賀警部が書いた、あるいは消した、その事実をあなた自身が発見すべきだ。ところが人権擁護局は何もそういうことについてはやっていないじゃないか。しかたがないから善意の人がみんな集まって、自分で労力を提供し、あるいはものを提供し、自分の負担で、みんな善意に燃えながらやっている。
むしろあの裏に字を書き、これを消したのは冥賀という警部であることが明らかになったわけなんです。したがって、この事件で唯一の物証だといわれておりました名刺の事件は全面的にくずれました。昭和二十三年二月一日付の読売新聞の記事を見ますると、品川区小山町三の一二二鈴木八郎方のメモを記入した覚えはないことが明らかとなり云々という記事が載っていますが、これを見ましてもこのことが明らかである。
そこで、きょうは人権擁護局長見えておりますが、私はこの間の委員会にあなたを呼ばなかったのですが、この間、例の松井名刺の裏書きを消したのは、現在警視庁の通信司令部におる冥賀警部補であるということを私はここで申し上げました。そして当時事件記者をされておりました読売新聞の遠藤記者が、いつでも証人として出るからということを申しておるのであります。
というのは、いま申し上げました通信指令部の冥賀という警部補です。念のために申し上げておきますが、いまなお警部補です。全然出世してないわけですね。どういうわけで出世していないのか私はよくわかりませんけれども、当時彼が上申書を出しております。おそらくその上申書の件が問題になっておると思うのであります。「それからその名刺を見た新聞記者がやはり現存しております。その警察官の名前は冥賀という警部です。
その警察官の名前は冥賀という警部です。それから新聞記者は当時読売新聞の記者で遠藤さん、この人が読売新聞の事件記者としてすべてこの帝銀事件を担当しておられたわけでありますが、この人が当時その名刺を見ている。それでこの名刺の裏に書いたのは平沢でなしに冥賀という警部が書いた。そしてこの名刺の裏に書いたのは、仙台市米袋町ではない。