2017-03-08 第193回国会 衆議院 文部科学委員会 第3号
聖徳太子は、言うまでもなく、冠位十二階や十七条憲法など、我が国の本当に統治の基本をつくり、あるいは隋との対等外交、さまざま、まさに歴史上最も重要な人物の一人であるというふうに私は思っておりますし、多くの国民が同じような思いを持っているんじゃないでしょうか。(発言する者あり)和をもってとうとしとなす、日本人の精神の支えですよ。今もあったように、お札にもなっている。
聖徳太子は、言うまでもなく、冠位十二階や十七条憲法など、我が国の本当に統治の基本をつくり、あるいは隋との対等外交、さまざま、まさに歴史上最も重要な人物の一人であるというふうに私は思っておりますし、多くの国民が同じような思いを持っているんじゃないでしょうか。(発言する者あり)和をもってとうとしとなす、日本人の精神の支えですよ。今もあったように、お札にもなっている。
さて、日本書紀は神武天皇の建国の日を正月一日にしておりますが、これは冠位十二階が推古大星十二年正月一日に実施され、あるいは大化の改新の詔が大化二年正月一日に発布されているのと同様に、飛鳥時代に、正月一日が大改革の出発点とされていることの投影であり、それはまた推古天皇九年正月一日を日本国の出発点であるとする当時の意識を示すものでもあります。
で、推古朝といいますのは、聖徳太子が出、冠位十二階が行なわれ、十七条の憲法がつくられるというようにめざましい発展を遂げた時代でございますから、日本に初めて天皇があらわれるという大変化は、この推古朝から二十一回辛酉の年をさかのぼった千二戸六十年前でなければならないという考えのもとに神武即位が決定せられ、推古朝に、おそらく聖徳太子あるいはその周辺の学者の考えによって決定されたというように思われるわけであります
聖徳太子の時代に初めてできました冠位十二階というものは、いわゆる大徳、小徳、大礼、小礼というあの位階ですね、これは絶対に転昇のない位階でありまして、蘇我氏が大徳をもらいますればそれはもう一生大徳なんです。そこから上に上りもしなければ下りもしない。昔のつまり可婆根そのものなのです。ただこれをこしらえました意義は、今までは生れながらにして臣、大連であつた。今度は天皇から授かつて大徳になつた。