1973-06-06 第71回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第5号
をいたしました結果では、この基準の〇・一五ミリグラムに対しまして実績は〇・〇〇一ミリグラムというように、基準の百分の一以下の、ほとんど排出ゼロに近い焼却炉からの排出でございますので、私どもとしましては、この基準ができましたことでもございますし、その基準をさらに百分の一ぐらい下回る程度の、ほとんどまずPCBは焼却炉の煙突から出ていないという状況で完全に処理できるというふうな炉の能力と見ておりますので、再開方
をいたしました結果では、この基準の〇・一五ミリグラムに対しまして実績は〇・〇〇一ミリグラムというように、基準の百分の一以下の、ほとんど排出ゼロに近い焼却炉からの排出でございますので、私どもとしましては、この基準ができましたことでもございますし、その基準をさらに百分の一ぐらい下回る程度の、ほとんどまずPCBは焼却炉の煙突から出ていないという状況で完全に処理できるというふうな炉の能力と見ておりますので、再開方
これにつきましては、会社のほうからは早急に再開方を要望してきているのでございますけれども、今度の日曜日、月曜日、火曜日に、北海道の大学の先生、及び京都、東京、早稲田の権威者からなります歌志内炭砿ガス突出委員会というものを設置いたしまして、現地調査の上、いかに今後対策を立てるべきかということを第一回目として実施いたしまして、なお、取り明けが完了いたしますのはおそらく今月の二十日過ぎになろうと思いますので
○福田(赳)国務大臣 国会でも済みましたら税制調査会の再開方をお願いしたい、こういうふうに思っておるのです。その際には、長期の税制はどうあるべきであるか、そういう問題についての御検討をお願いしたい、かような考えであります。それをどういう年度割りでやっていくか、この年度割りはなかなかむずかしい、そこで、目標はどこに置くべきかということについての諮問となると思うのです。
去る十日には新しく内閣ができまして、その内閣から先般日韓交渉の再開方を申し入れてきたということが新聞で伝えられております。それは閣僚クラスによる漁業会談の再開をしたいという申し入れがあった。新聞の報ずるところによりますと、それに対して赤城農林大臣は、国会の関係もあって今月一ぱいは無理だ、お会いするなら来月からだという返事をされたやに伝えられておるわけであります。
そこでわがほうとしてはかかる差別的待遇の是正をはかるべく、引き続き折衝を重ね、昭和三十二年十一月には岸前総理大臣がニュー・ジーランド訪問の際同国の政府首脳者と通商交渉再開方を話し合ったのであります。 そして翌年の昭和三十三年六月、ニュー・ジーランド政府は、わが国との間の貿易拡大を目的とする通商協定の締結交渉を行ないたい旨提案して参りました。
しかしその後のいろいろな往復を見ますと、吉田内閣時代には二十九年の十月、フィリピン側から日本政府に対して大野・ガルシア協定の覚書を離れて交渉再開方を申し入れてきたのであります。
日本側といたしましては、久保田発言前後の韓国側の態度には極めて不満を持つておりますけれども、実質的に何とか日韓関係の打開を図りたいという趣旨から、米国を通じまして、更に会談の再開方を随時先方に慫慂しておるのでありますが、未だ先方からは会談再開についてのこれを承知するという意思の表示がないのでありまして、そのままになつているわけであります。
その一つは、中根組合長の配置転換は絶対に撤回しなければならない、退職金の交渉はただちに再開しろ、年末資金として一・五箇月分をよこせ、さらに会社が現在打つておるところの第二組合画策工作はただちに中止せよ、こういう要求項目を会社に出しまして、その団体交渉再開方を要求したわけであります。
○政府委員(百田正弘君) 失業対策連絡協議会につきましては、駐留軍組合よりもその再開方について強力な要求があるわけでございます。私も調達庁に参りましてまだちよつとしかなりませんが、その間にこれは全然開いていたことはございません。
その後そのまま戦争に入りましたために、この点につきましては当然日本側としましても、陸揚権を消滅したというふうに了解しているわけでございますが、終戦後におきましてこれもデンマーク国の外交機関を通じまして、これが通信の再開方を当時の司令部を通じて話があつたわけであります。
本線のうち相生、赤聴聞は約七〇%、赤穂、日生間は約二三%が工事完了したまま工事は中止され、以来地元関係者から工事再開方の請願が繰返されて参つたことは、皆様の御承知の通りであります。
この際簡易保險、年金積立金の運用事務再開方に特別の御配慮を煩わしたいと思つて請願している次第であります。 —————————————