2010-01-28 第174回国会 参議院 総務委員会 第1号
その司法の独立性という点を、そちらを重視すれば、私は、政府の中にあるからといって、一体性を重視して内部批判は慎めという議論は必ずしも一〇〇%当たらないのではないか、そういう考えがあります。そして、もう一つの二面性ということですが、政府の中にいる議員は、政府高官であるという立場のほかに国会議員という立場もあると思います。私が今回この会に参加したのは、あくまでも国会議員の立場でありますと。
その司法の独立性という点を、そちらを重視すれば、私は、政府の中にあるからといって、一体性を重視して内部批判は慎めという議論は必ずしも一〇〇%当たらないのではないか、そういう考えがあります。そして、もう一つの二面性ということですが、政府の中にいる議員は、政府高官であるという立場のほかに国会議員という立場もあると思います。私が今回この会に参加したのは、あくまでも国会議員の立場でありますと。
その司法の独立性という点を、そちらを重視すれば、私は、政府の中にあるからといって、一体性を重視して内部批判は慎めという議論は必ずしも一〇〇%当たらないのではないか、そういう考えがあります。 そして、もう一つの二面性ということですが、政府の中にいる議員は、政府高官であるという立場のほかに国会議員という立場もあると思います。私が今回この会に参加したのは、あくまでも国会議員の立場であります。
お役所の方々、官僚の皆さんはやはり無謬ということがいつも前提となっているから過去の過ちというものをなかなか認めない、あるいはそれを内部批判するということはまずないということがあるんですけれども、しかしこうしたバブルの問題であると、経済で言えばバブルの問題、それから第二次大戦に参入していってしまった、そういうことというのはもうとてつもない大きな出来事でありましたから、これはもうしっかりと歴史的にやはり
それからもう一つは、内部批判の拒否の例というのを申し上げます。四十八年の九月にNHKの制作ディレクターであった竜村仁君というのと、それから国際渉外の部員であった小野耕世さん、この二人が解雇されました。で、その理由は、四十八年の八月にこの竜村君というのが「ドキュメンタリーキャロル」という番組をつくったわけです。
そうして内部批判の会議もやって、間違いのないようにしておる、こういうことであります。しかしながら、昔年銀行検査官の汚職が出ました。
もとの首相でありました宋堯讃という人が、朴最高会議議長が軍服を脱いで大統領に出るということはいかがなものかというような内部批判もある。あるいは最近金鍾泌氏と金東河氏との間の確執というようなものも伝えられております。
しかも、このような内部批判に対し、総評幹部並びにこれと結ぶ主として左派社会党の諸君は、いささかも耳をかすことなく、依然として政治闘争激発主義の旗を振つておるのであります。
しかもその後、この両争議に対しましては痛烈な輿論の批判が加えられまして、また両組合の内部においても、深刻な内部批判が行われつつあるにもかかわりませず、両組合の幹部は、今日なお公に反省の実を示しておりません。両争議における指導方針を是認して、今後においても、必要に応じては停電スト、保安要に員の引揚げを行うことを辞しないというふうな態度を見せておるのであります。
ところでそのワンマンぶりを発揮される幹部を押えずに、内部批判をさして、そうして下からこれを排除したらいいじやないかというようなことも、むろん民主主義の政治としましてはそうでございましよう。しかしながら、地方五十万の組合員諸君は、おそらくそういうことは念頭にないのじやないか。
要するに平和覚書なら平和宣言を発して、われわれはこの種のストは今後やらぬというふうなことが起り得るとするならば——、またそういう動きは現に組合の内部批判として起りつつあるわけですが、今日ただちにそういうものが成り立ち得るかどうかは別問題といたしまして、そういう状態になれば、いらないということは言えるでしような。
組合の内部批判は組合の内部の問題だからわしは知らぬ、それはいいかもしれません。しかしながら総評の指導するところのこれにつながるいわゆる左派幹部の電産あるいは炭労の動き、これらの動きについて、今の吉田内閣は確固たる考え方を持つておらない。認識並びに批判というものがない。ただ目前のこういう悪いことが起きたからこれはとめるのだ。いい、悪いの兼準というものは確かにあるわけです。
第一に、吉田内閣は、何ゆえに、労働者側の、たとえば総評において、ほうはいとして盛り上りつつある内部批判の機会をとらえて、これとじつくり話合いをしようとしないのであるか、また、民主的労働組合の発展方向を力強く支持する態度をとらないのであるか、さらに、国際労働機構を通じて、労働問題の国際的提携を促進強化する方向へ、助成と補導の手を伸ばさないのであるか。