いずれにしましても、地域の発展ということを考えたときには、地域の内発性ということを最優先にする、そして、それをきちんと財政的にも支援して、実現の方向に向かっていただくということが肝要であろうかというふうに考えます。 以上です。
今現在は県独自の市町村交付金に再編されているようですけれども、内容は、ワークショップの開催とか住民の内発性を重視して、使途が自由であり、予算も単年度ではなくて複数年となっているようです。また、再編されたこの市町村交付金は、県による小規模な奨励的補助金を統合して市町村に配分している、いわゆる私どもが求めてきた一括交付金的な形なんだろうと思うんですね。
なぜなら、それは教育研究の外面的評価、特にその数値化と相まって、熱心で有能な人々の学問的内発性をそぎ、人間精神の純粋な創造的、発見的エネルギーを攪乱し、低下させるからであります。イギリスの大学は既にそれによる多数の頭脳流出を経験したのです。競争原理による活性化は、一時的な効果を生むかもしれませんが、たちまち息切れし、全体として日本の高等教育を凡庸な水準に収れん、停滞させると思われます。
しかし、第一次オイルショックの後から、水道用水の開発が、だんだん利水が必ずしも内発性を持たなくなって、ここに来て大渇水時への対応ということを盛んに言われるようになったわけであります。この水需要の増加がおさまったために、大渇水への対応、そうした点から方向転換をされようとしていますけれども、この水の需給と実績の乖離というものが大きくなってきている。
教育というのはやっぱり、太陽と北風じゃないんですけれども、内から解放していくという、そういう考え方が子供の内発性を大事にするというか、そういうことが大事だというふうに思うわけです。 理想どおりなかなかうまくいかない場合もあるわけですけれども、基本的に学校現場では権力的措置はなじまない。
子供たちの内発性に低い目線で働きかけることこそ、教育の重要な仕事です。強制は、子供たちの伸びようとする芽を摘むことになります。(拍手) 教育について、こんな言葉を聞いたことがあります。一年先を見る人は花を植える、十年先を見る人は木を植える、百年先を見る人は人を育てるというのです。
やはり先ほど前川委員のお話もございましたようなその国その国の事情というものもございますから、ぜひ公正取引政策としての自発性といいますか内発性といいますか、そういう点に重点を置いてこれからの政策をお願いしたい、こういうふうに思います。 以上で私の質問を終わります。
それから、二つ目でありますが、今度は課題の五、「環境ODA・技術移転」の提言の一、「適正技術に配慮した内発性重視の環境ODA」の関係でありますが、これ外務省さんでありますか、経済企画庁さんでありますか、にお尋ねであります。
現地の実情にふさわしい適正技術に配慮した内発性を重視した技術の提供という点で具体例をちょっと申し上げたいと思います。 我が国として、昨年の十二月に、場所はタイでございますが、ここに環境保護促進計画というものに対するツーステップローンというものを供与しております。金額は三十億円でございます。
その際、とりわけ途上国の自助努力を支援するために、中進国の環境案件に対して技術協力のみならず、有償資金協力を行うことですとか、あるいは途上国への技術移転に当たっては低コストの脱硫装置等を相手国の実情ですとか必要性に合った適正技術を共同で選択、改良、開発するという形で、その相手国の内発性を重視した協力ということをうたっているわけでございます。
特に、大臣が御答弁になりましたように、これはやはり内発性といいますか、地域の自主的な意欲を持った構想というものが一番大切だろうと思うのですね。
ですから、教育の面で、先生の教室内における自発性といいますか、創造性といいますか、内発性といいますか、そういうものによって教育がなされていくわけですね。ですから、指導主事というものが、あるいは学年主任というものが、あるいは学科主任というものが、自然に生まれてきているわけです。
大槻先生の方からは、裸で、内発性を、子供の中から人間形成を促していくというためには、少なくともマスプロ教育ではその成り立たせる条件がないというようなことも言われますし、確かに、そういう中で無理にやろうとすれば、自分の好きな子供だけを、一部だけやっていくというようなことになって、すべての子供について放置する、こういう点になっていくと思うんですね。