1956-05-31 第24回国会 衆議院 外務委員会 第54号
共産党が革命の突破口を内灘事件によって開くというようなことも聞いておりました。それに毎日労組の応援隊が千何百人、あるいは全学連から学生何百人、それから他の土地から現地視察で来られる、代議士各位の現地視察、それから警察隊の警備千数百人と聞いておりました。それに村の人の動き、これは仕事ができない。五カ月間というものは実にうろうろいたしました。
共産党が革命の突破口を内灘事件によって開くというようなことも聞いておりました。それに毎日労組の応援隊が千何百人、あるいは全学連から学生何百人、それから他の土地から現地視察で来られる、代議士各位の現地視察、それから警察隊の警備千数百人と聞いておりました。それに村の人の動き、これは仕事ができない。五カ月間というものは実にうろうろいたしました。
○福島説明員 これはアメリカ側から要求があった場合に、日本側が断われるかという問題ではないのでありまして、つまり内灘事件とは違うのであります。アメリカ側からそこを提供してほしいという問題ではないのであって、すでに提供してしまってある地域を逆に日本側が返せと言っている問題なのです。
実を申しますと内灘事件以来あのたちの問題が比較的静かでございますのは、私の方針といたしましては、アメリカ側の都合もあろうけれども、新規提供の場合は地元の話のつくまで待ってほしいということで、全部待たせておりますので、問題は大分たまっておりますが。話のつかぬ限り相手にせぬということでやっております。従って内灘事件以後あのたちの問題が比較的少くなっております。
それから、石川県の内灘事件は相当数多く新聞に出ておりました。それから、アメリカ軍は日本に七百以上の基地を築いている、それから、日本の財閥はアメリカと基地建設の契約をして、アメリカは非常に大きなドルを日本に支払つている、そして各方面のストライキは全部漏れなくロシヤの新聞に出たと思います。
従つてどうしても警察官を出しておかなければならんという場合におきましても、警察に対しましてはできるだけ隠忍自電して、如何に罵倒されようとも、とにかく今申上げたような事態をよく認識して、辛抱強くしておらなければならないということは常々申しているわけでありますが、先般の内灘事件の際にもそういう点を細々と示達をいたしておつたのであります。