2017-03-09 第193回国会 参議院 財政金融委員会 第3号
途中で一回、半年間退任されたので五回就任したとも言っていいんですけれども、マネタリーベースはそんな増やさなかったんですが、内外金融分離をした上で、財政拡大をしながらも、最初から大体三年ぐらいでそれは終えるつもりだったと述懐しておられるんですが、その後、ここにも書いてありますけれども、四年目に財政拡大そして公債の発行拡大をそろそろやめようという方針を打ち出されたところ、半年後に二・二六事件で暗殺をされて
途中で一回、半年間退任されたので五回就任したとも言っていいんですけれども、マネタリーベースはそんな増やさなかったんですが、内外金融分離をした上で、財政拡大をしながらも、最初から大体三年ぐらいでそれは終えるつもりだったと述懐しておられるんですが、その後、ここにも書いてありますけれども、四年目に財政拡大そして公債の発行拡大をそろそろやめようという方針を打ち出されたところ、半年後に二・二六事件で暗殺をされて
お配りした資料の裏側にその岩田さんと原田さんの御発言も明記してありますけれども、なぜロンドンでは二五%の金利が日本の国内では今のような低金利だったかというのは、内外金融分離していたからですよ。これはもうほぼ常識だと思いますけれども、金本位制を放棄することによって内外金融を分離していたから、言わば国内では日銀が引受けさえしてくれたら国債を発行できるという状況が続いていた。
だから、この四枚目、この内外金融分離は政策的には今やっていないんですが、日本の財政赤字の状況を見て、だんだんだんだん海外市場と日本の国内での国債市場でのこのJGB、日本国債の扱いが変わってきているんですよ。そのことは御理解されていますか。
ところが、皆さんのお手元の裏に、高橋財政を参考にしてやれば成功すると言って日銀の副総裁になった方がどういうことを喧伝していたかというと、金輸出の禁止、つまり金本位制の離脱と日銀の国債のこういう拡大的なオペレーションがデフレ脱却の二本柱だったということを言っておられるんですが、金輸出の禁止というのは、この四番目、内外金融分離をしていたからうまくいったんですよ。