1977-04-08 第80回国会 衆議院 社会労働委員会 第8号
そして内務政務次官が窪井義道君です。非常にたくさん発言をしているのが芝山兼四郎陸軍次官と兵務局長那須陸軍少将で、それをやっておるわけです。それは、いま局長が言ったようなことは言ってないのです。いざというときにはそんなことでは間に合わぬと言っているわけです。これは文章だけ見ていても、実際は例外が主になっている。だから私は、内閣法制局にも読んでおけと言ったんだけれども全然読んでない。
そして内務政務次官が窪井義道君です。非常にたくさん発言をしているのが芝山兼四郎陸軍次官と兵務局長那須陸軍少将で、それをやっておるわけです。それは、いま局長が言ったようなことは言ってないのです。いざというときにはそんなことでは間に合わぬと言っているわけです。これは文章だけ見ていても、実際は例外が主になっている。だから私は、内閣法制局にも読んでおけと言ったんだけれども全然読んでない。
さきに内務政務次官をおやめになったのも、次にまた国務大臣をやめられたのも、いずれも党が、幹事長として、また総務会長として、先生のすぐれた指導力と豊富な経験とを求めたためでありました。 昭和三十年、三木武吉氏らと相はかり、保守陣営の大同団結に奔走されました。
ところが毎日を襲うという点につきましては、これが政治的主義主張のために毎日新聞を襲うという計画でありますと、政治活動との関連においてわかる機会が早かったのでありますけれども、そういう状況ではなかったような状況でございまして、ただいま世耕委員が内務政務次官のときに御経験のような状況の情報はなかったのでございます。この事件は、四月の二日の未明に起こった事件でございます。
お手元の履歴書で御承知のように、世耕君は、大学卒業後、欧米各国宗教制度調査員、日本大学講師を経て、昭和七年二月以来、七回にわたり衆議院議員に当選し現在に至っているものでありまして、この間、日本大学教授、大阪専門学校長、大阪理工科大学総長代理、内務政務次官等の職務のほか、現に近畿大学総長、私立大学協会常務理事の職にあるものであります。
世耕という前衆議院議員で内務政務次官であつたお方がおられますが、この世耕前衆議院議員が内務政務次官のころに、マツカーサー司令官が、当時日本における供出ダイヤあるいは貴金属の類は、これを国民に返還すべきであるという覚書を、二回にわたつて発しておるということでありますが、世耕氏はこれを自分で見た、こう称しておるのですが、さような覚書を終戦連絡事務局から引継いだことがあるかどうか。
君は、さきに内務政務次官、法制局長官に歴任され、近くは第一次吉田内閣及び片山内閣の国務大臣として国政の枢機に参画し、祖国再建に多大の功績を残されたのであります。
その当時の会が結局厚生同胞協力会を含んだ八名足らずの会でありましたし、当時内務政務次官をしておられた世耕さんが今後の退藏物資に対しては特に協力をする、こういうことを言われたわけです。そういつたことが前にありましたので、私は挾間祐行という小説家を通じて、家曽根幾太郎、塩月参與官、藤川文六、その人たちにお会いして、結局同じようなことを言われたわけです。
「世耕弘一に対しては、昨年四月の選挙の際一、二万円の金を援助してやつたように思いますが、その後は昨年夏ころ世耕が内務政務次官に就任し、私方に來た際、その就任祝いとして一万円渡した記憶があります。これは私の性格として、他の人にもときどきそのような援助をしてやる場合があるので、特に世耕に厚くしたわけではないのです。」こういうふうに言つておりますが、これはどうでしようか。
殊に看過することのできませんことは、その手段のために、あるいは商工大臣、内務政務次官というようなものが利用されておつたというようなふしふしもあるのでございまして、かような案件を議員不逮捕の特権の盾の中に守るべきかどうかということにつきましては、われわれも愼重に考えた次第なのであります。
○川橋委員 今大石委員からお話がありましたが、大體隱退藏物資については、世耕君は當時内務政務次官として、この問題についていろいろ研究せられました。その當時のことを考えみますと、これは治安及び地方制度委員會で取扱うべき事のとして、最初にここでこれに對しての決議案を出したのであります。
理事 矢尾喜三郎君 理事 高岡 忠弘君 理事 中島 茂喜君 理事 松野 頼三君 理事 酒井 俊雄君 大石ヨシエ君 菊池 重作君 松澤 兼人君 松谷天光光君 大澤嘉平治君 千賀 康治君 坂口 主税君 中垣 國男君 小暮藤三郎君 中島 守利君 石田 一松君 出席政府委員 内務政務次官
兼岩 傳一君 吉川末次郎君 中川 幸平君 駒井 藤平君 鈴木 憲一君 西田 天香君 山崎 恒君 平野善治郎君 竹中 七郎君 谷口弥三郎君 政府委員 法制局次長 井手 成三君 内務政務次官
理事 松浦 東介君 理事 的場金右衞門君 足立 梅市君 伊瀬幸太郎君 溝淵松太郎君 宮村 又八君 守田 道輔君 山本 幸一君 生方 大吉君 原 孝吉君 村瀬 宣親君 今村 忠助君 高田 弥市君 野本 品吉君 高倉 定助君 只野直三郎君 出席政府委員 内務政務次官
長野内務政務次官。
直人君 委員 羽生 三七君 奧 主一郎君 大隅 憲二君 草葉 隆圓君 黒川 武雄君 岡田喜久治君 岡本 愛祐君 岡元 義人君 阿竹齋次郎君 池田 恒雄君 政府委員 内務政務次官
○林(敬)政府委員 ただいま内務政務次官より、本法律案の提案理由の説明を申し上げたのでございますが、その述べられましたところの第三點の、すなわち内務省の廢止に伴いまして「内務大臣」を「地方自治委員會」に改めるという點のことにつきまして、さらにその部分を再修正をしなければならない事情に至りましたことに關しまして、若干補足いたしましてお願い申し上げ、かつ當局の修正希望を申し述べさしていただきたいのであります
理事 川橋豊治郎君 理事 松野 頼三君 理事 酒井 俊雄君 大石ヨシエ君 菊池 重作君 久保田鶴松君 松澤 兼人君 佐藤 通吉君 千賀 康治君 坂口 主税君 小暮藤三郎君 大内 一郎君 外崎千代吉君 加藤吉太夫君 出席政府委員 總理廳技官 坂田 英一君 内務政務次官
委員長 伊藤 修君 理事 鈴木 安孝君 松井 道夫君 委員 齋 武雄君 奧 主一郎君 鬼丸 義齊君 前之園喜一郎君 小川 友三君 松村眞一郎君 阿竹齋次郎君 政府委員 内務政務次官
最上 英子君 猪俣 浩三君 太田 典禮君 馬場 秀夫君 原 彪之助君 高橋 長治君 並木 芳雄君 成島 憲子君 平澤 長吉君 奥村 竹三君 佐々木盛雄君 竹尾 弌君 木村 榮君 出席政府委員 新聞出版用紙割 當事務局長 原田 治郎君 内務政務次官
これに對してさいわいに内務政務次官以下來られておりますので、御答辯願いとうございます。
根本龍太郎君 平澤 長吉君 淺利 三朗君 小峯 柳多君 竹尾 弌君 野本 品吉君 飯田 義茂君 只野直三郎君 外崎千代吉君 河口 陽一君 出席國務大臣 大 藏 大 臣 栗栖 赳夫君 出席政府委員 經濟安定本部建 設局長 高野 與作君 内務政務次官
その他商工大臣も大體一時半ごろには來るという豫定で出掛けたのでありますが、まだ見えません、内務大臣は病氣のために内務政務次官が代つてお答えになるそうであります。前會に請求しました經濟安定本部の石原次長は、やはり病氣がまだ囘復しておりませんので、今日出席がありません。從つて石原次長に對する質問は次會に延ばしていただきたいと思います。
石田 博英君 泉山 三六君 田口助太郎君 野本 品吉君 飯田 義茂君 只野直三郎君 外崎千代吉君 木村 榮君 出席國務大臣 厚 生 大 臣 一松 定吉君 國 務 大 臣 西尾 末廣君 出席政府委員 經濟安定本部建 設局長 高野 與作君 内務政務次官