1965-12-13 第50回国会 参議院 本会議 第15号
自来、内務技師、国土局道路課長、関東土木出張所長を経て、国土局長兼内務技監に栄進され、建設院技監、建設省設置に伴い、建設事務次官、建設技監として、技術陣の最高責任者の地位に立たれ、昭和二十五年建設事務次官を退官されるまで、実に三十有余年の長きにわたり、国土建設行政に精根を傾けてこられたのであります。 君は、剛毅濶達、卓越した識見と敏腕をもって事に処し、その実行力は抜群でありました。
自来、内務技師、国土局道路課長、関東土木出張所長を経て、国土局長兼内務技監に栄進され、建設院技監、建設省設置に伴い、建設事務次官、建設技監として、技術陣の最高責任者の地位に立たれ、昭和二十五年建設事務次官を退官されるまで、実に三十有余年の長きにわたり、国土建設行政に精根を傾けてこられたのであります。 君は、剛毅濶達、卓越した識見と敏腕をもって事に処し、その実行力は抜群でありました。
そこでこれはまあ申上げるまでもなく御承知の通りなんですが、そこで部という制度でやつておつてこそその点が明らかになるのですが、監という場合には、今申上げたように従来も内務技監は一つも所掌事務を持つていない。
ところが監というのは例えば、現在はどうか知りませんが、昔から内務省に内務技監の制度があつた。建設省にも現在あるかも知れませんが、そういう場合は所掌事務というものは持たずに、例えば技術関係における一つの何と申しますか、アドヴアイザーと申しますか、或いはどういうふうに言いましようか、具体的の仕事というものを持たずに、むしろ技術について眼を光らしているという者が内務技監の制度であつたわけです。
島津 忠彦君 田中 一君 江田 三郎君 久松 定武君 東 隆君 尾山 三郎君 事務局側 常任委員会專門 員 武井 篤君 証人 元内務省第一技 術課長 前川 貫一君 元内務省東京土 木出張所長 眞田 秀吉君 元内務技監
ところが大正三年頃、わが国で今まで最も多くの人々からして敬慕されている人は、初代の内務技監の沖野博士であります。その沖野博士が日本のような河川においては、ひとり下流の河川改修のみをやつては治水の目的は達し難い。どうしても上流の砂防工事をやらない以上は、本当の治水はできない、こういう考えをお持ちになつておりました、その当時内務技術師は百三十五人あつたのであります。併し沖野博士は言つた。