1967-12-04 第57回国会 参議院 本会議 第1号
自来、内務技師、戦災復興院特別建設局土木工事課長、建設省総務局企画課長、建設省近畿地方建設局長、経済安定本部建設交通局長等を歴任され、昭和二十八年経済審議庁審議官を退官されるまで、実に三十年に近い年月を、国土の保全と開発に挺身されて、大きな功績を残されたのであります。
自来、内務技師、戦災復興院特別建設局土木工事課長、建設省総務局企画課長、建設省近畿地方建設局長、経済安定本部建設交通局長等を歴任され、昭和二十八年経済審議庁審議官を退官されるまで、実に三十年に近い年月を、国土の保全と開発に挺身されて、大きな功績を残されたのであります。
自来、内務技師、国土局道路課長、関東土木出張所長を経て、国土局長兼内務技監に栄進され、建設院技監、建設省設置に伴い、建設事務次官、建設技監として、技術陣の最高責任者の地位に立たれ、昭和二十五年建設事務次官を退官されるまで、実に三十有余年の長きにわたり、国土建設行政に精根を傾けてこられたのであります。 君は、剛毅濶達、卓越した識見と敏腕をもって事に処し、その実行力は抜群でありました。
次に、三君の経歴についてでありますが、お手元の履歴書で御承知のように、内海君は、大正四年、東京帝国大学工科大学土木工学科本業後、大正七年内務技師に任ぜられ、同八年これを退職いたしました。
従つてその河川の性質をよく研究するのには少くとも十年かかる、それから又はかの河川を十年かかる、つまりその一生の間に二つの河川を持つたら大体内務技師の一生の職は終る。それほど河川にはその河川々々について長い経験と特にその河川の性質を知つている、これを知らない以上は本当の河川の改修はできないとされたものと私は考えております。
委員 石坂 豊一君 石川 榮一君 島津 忠彦君 江田 三郎君 田中 一君 事務局側 常任委員会專門 員 武井 篤君 東京大学教授 秋葉滿壽次君 元東京大学教授 野間 海造君 日本発送電株式 会社社員 吉田 榮延君 元内務技師
そのときに丁度ここへ、皆方々のいわる内務技師というのはみんな東京へ、関東か大騒動でありますから、全国の内務技師は、先ず手頃の人は皆ここへ集めたのです。随分の沢山の人でありましたが、それで機械は、北上用その他やりましたが、皆東京で一緒に買つて分けたのであります。結局土木局がやつたのでありますが、東京の今の建設局、土木出張所かやつた。それを分けて全部やつて貰つたわけであります。