1977-07-30 第81回国会 参議院 本会議 第3号
神田君は、明治三十六年十二月、新潟県東蒲原郡三川村に生まれ、たゆまぬ努力と勤勉によって、内務属として内務省地方局に勤務された傍ら、法政大学専門部法律科を御卒業になり、昭和七年には、当時の静岡県知事に請われて、内務省から静岡県へ出向、秘書課長の地位につかれました。以来、経済部の水産、商工などの課長を歴任、特に商工行政について卓抜した手腕を発揮されたのであります。
神田君は、明治三十六年十二月、新潟県東蒲原郡三川村に生まれ、たゆまぬ努力と勤勉によって、内務属として内務省地方局に勤務された傍ら、法政大学専門部法律科を御卒業になり、昭和七年には、当時の静岡県知事に請われて、内務省から静岡県へ出向、秘書課長の地位につかれました。以来、経済部の水産、商工などの課長を歴任、特に商工行政について卓抜した手腕を発揮されたのであります。
○柏村政府委員 ただいまのお話の、戦前の警保局はほとんど事務官だけでやっていたというお話でございますが、これはまさにその通りですけれども、あの事務官というのはほとんど地方の警察経験者、警察官であった者の中から選んで、いわゆる警部補であるとか警部であるとかいう地位の者を持ってきて、内務属といういわゆる事務官にして仕事をさせておった。
○参事(近藤英明君) 内閣委員会から御承認を求められております専門員は杉田正三郎君、この方は大正五年に東京大学を卒業されまして、それから内務属、法制局参事官でずつとおられまして、兼任として行政裁判所の評定官等をいたされて、高等官一等まで法制局参事官をやつておられます。そうして昭和二十三年五月に退官せられております。