2011-06-07 第177回国会 参議院 法務委員会 第14号
具体的危険犯もありますし、抽象的な危険犯もあります。そういうことを考えれば、刑法体系全体の中でこのコンピューターウイルス作成という行為を可罰性あるものとして切り出すことは刑法体系とそごするというわけではないと思っております。
具体的危険犯もありますし、抽象的な危険犯もあります。そういうことを考えれば、刑法体系全体の中でこのコンピューターウイルス作成という行為を可罰性あるものとして切り出すことは刑法体系とそごするというわけではないと思っております。
例えば、刑法犯ですと、「おそれ」というのを抽象的危険犯か具体的危険犯かなどといった論争がありますけれども、この「おそれ」というものをどのように定義されているのでしょうか。
それから問題となるのは、いわゆる談合行為というものが刑法上抽象的な危険犯か具体的危険犯かという問題がありますね。それから、これが一部適用されている。目的というのが入ったから適用されてきたわけでしょう。適用されないものも出てくる。そういう場合に、利益の均衡論であるとかあるいは相互救済論とかありますね。
そして、弁護人が本件は航空法一三八条ではなく同法五三条違反の罪に該当するに過ぎないと主張したのに対し、同法五三条違反の罪は抽象的危険犯、同一三八条は具体的危険犯で、本件は右のような規定の解釈上後者に該当するとして弁護人の主張を排斥したのである。」
こういう立法方法は実は二条ともからみますけれども、これは具体的危険犯という形で規定していますから、この第一条と第二条とはしたがって私はつじつまが合っていると思うのです。先生おっしゃいますように、一条を目的犯的にしますと、二条も三条も全部目的犯になると思います。したがいまして、これは現行の爆発物取締罰則がそうなっているのでございます。
○参考人(中山研一君) 非常にむずかしい限界上の問題になろうかと思いますが、御承知のように具体的危険犯ということでございますから、当然裁判所でもし問題があった場合は具体的危険が発生したかどうかについて立証を検察官側が負わなければならないと思います。
もともとこの二条というものは、先ほど申しましたように、公共の安全を保護法益しておると、こういう公共の安全を保護法益しても、具体的危険犯——危険犯に対してさらに未遂を処罰することは法体系上おかしいのではなかろうかという御指摘であろうと思うのでございますけれども、これは現行刑法にも百二十四条以下の往来妨害罪がございますが、これは公共の安全を保護法益しておる犯罪でございます。
それから刑の点は、刑の均衡ということを考えます場合に、一体何罪との均衡、バランスを考えるべきかというのは、非常にいろいろ違った角度から問題になることかと思いますが、やはりこの種の犯罪は、放火であるとか公務執行妨害であるとか、あるいは凶器準備集合であるとか、いままでの刑法犯として処理されてきたものを、刑法犯の特徴でありますところの具体的危険犯という形で、新たな犯罪類型を設けたということでございますから
この場合の人の生命、身体、財産に危険を生じさせるということは、いわゆる具体的危険犯というふうに理解すべきものであろうと考えておるわけでございまして、必ずしもこの人の生命、身体、財産に実害を発生せしめる必要はございませんけれども、具体的にそういう実害の発生する危険性があるということを要件にしておるわけでございます。実害発生の一歩前でこれを処罰の対象にしようとしておるわけでございます。
○畑委員 抽象的危険犯ではない、したがって具体的危険犯であることを必要とする、ただし結果の発生は必要としない、こういうことですな。 それからその次に、この第二条とほかの犯罪の、公務執行妨害罪、あるいは凶器準備集合罪、これとの罪数はどういうことになりますか。
○辻政府委員 私どもは、いわゆる具体的危険犯というふうに理解をいたしておるわけでございまして、実害の発生を要しない。しかし、抽象的危険犯ではないというふうに理解をいたしております。
○小林武君 もともと危殆犯とか危険犯とかいうのは、構成要件が、法益の侵害の結果を要求しないということにあるとすれば、まあこれは何といいますか、実際上そこに問題が起こっていないということだと思うのでありますが、われわれのことばで言えば、しかしそのおそれがあるということになると、その二つの中に、具体的危険犯と抽象的危険犯というその二つは、「おそれ」をとったことによって分かれたとしたら、どっちのほうが、公害
○政府委員(辻辰三郎君) この政府原案にございます「公衆の生命又は身体に危険を生じさせた」というのは、これは危険犯でございます、具体的危険犯でございます。それから法務省の当初案にございました、「公衆の生命又は身体に危険を及ぼすおそれのある状態を生じさせた」というのも危険犯でございます。これまた私どもは具体的な危険犯というふうに理解をいたしております。
したがって、具体的危険犯だけでなく、抽象的危険犯でも処罰の対象にすることは可能であり、それをしなかったことは国民の期待を裏切ったといわねばなりません。法務省原案では「おそれ」の表現が当初入っており、法制審議会に諮問したときも、なお「おそれ」の表現は原案のままでいいと答申されていたのであります。その後、法務大臣の個人的責任で削り取ったというのであります。
抽象的危険犯ですと、危険の状態というものは具体的危険犯よりもはるかに広くていいわけです。その意味で、刑法でこれをとらえる場合に、かなりゆるやかになってきます。特に因果関係について推定規定がつけ加えられますと、証拠法並びに事実認定との関係で、これはかなりの効果を発生するものというように考えられます。
一方、「おそれ」を取った構成要件ですと、これは具体的危険犯と称されております。これは危険性が具体化する必要がある。そういう点で理論上は明確に差異があるわけであります。 ところで、問題はですね、そういう実体法上の抽象的な議論よりも、むしろ実際の事実認定の上でどちらが立証が容易であるかという問題に戻ってくると思います。そういたしますと、推定規定を入れましてもですね、なお抽象的危険犯の規定である。
ただ、「おそれ」という文言があるにせよあるいはないにせよ、本罪を具体的危険犯としてとらえているということには、これは少しも変わりはない。
これは私のほうの理解が間違っていれば訂正いたしますが、何もそれをこれで持ってくるということは、どうもこの法案が具体的危険犯というものを他の経済諸法令と相まって防止の目的を達するということにはなじまないのではないか。これを罰する必要はもちろんあると思いますよ。あると思いますが、この法案の立法趣旨とあわせて、これをお入れになるということはちょっとなじまないのではないか。
それを抽象的危険犯と具体的危険犯とのどこら辺で一体押えるかという問題がこの法案のねらいじゃなかろうか、こう考えております。
しかしながら、従来の考えからいけば、やはり何らかの——全然人がいないところをスピード違反でやっていくという意味の抽象的なものよりは、多少具体的な点もあろうかと思われるということでございまして、少なくとも私どもの当初案にございました「危険を及ぼすおそれのある状態」というのは、従来の具体的危険犯よりは広い、これを抽象的危険犯というふうに言っても言い切れるかもしれません。
それと対比しまして、百三十八条という条項は単なる抽象的な危険、つまりそういうものを建てれば直ちに違反というのではなくて、航空の危険を生ぜしめることが要件になっている、つまり講学上いわれるところの具体的危険犯ということに相なっておるというふうに考えるわけであります。したがいまして、先生御質問のように、危険を生じせしめる場合でないともちろん百三十八条は成立しないということに相なるわけであります。