1993-03-25 第126回国会 衆議院 内閣委員会 第4号
だけれども、事こうなると、きのう、きょう、あしたというここに来ると、やはりいろいろあるけれども、私も陸軍少尉なものですから、私の兵隊仲間だってたくさん死んでいるのだから。しかし、私にするとそういういろいろなことが残るけれども、やはりここまで来たらできるだけのことをせにゃいかぬなというふうに思うから聞いているので、ぜひひとつそういう御努力をいただきたい。
だけれども、事こうなると、きのう、きょう、あしたというここに来ると、やはりいろいろあるけれども、私も陸軍少尉なものですから、私の兵隊仲間だってたくさん死んでいるのだから。しかし、私にするとそういういろいろなことが残るけれども、やはりここまで来たらできるだけのことをせにゃいかぬなというふうに思うから聞いているので、ぜひひとつそういう御努力をいただきたい。
それで、その被爆の実相の原点に返って、アメリカでも問題提起が世論として広がるという動きになっているという報道がありますし、私も四年半兵隊に行ってきましたけれども、何度か死線を越えて戦ってきましたから、戦争の残酷というのは肌にしみついているんですが、幸い原爆の被害者じゃないんでその実感はわからないんですが、われわれ兵隊仲間でも被爆の方々が集まって、もう一回原爆、水素爆弾を考えるべきであるということが旧軍人
終戦後帰ってきて、そして昔の兵隊仲間に会いますけれども、まともに生活の道に入っていった人は少ない。あの当時の経済状態がどうであったか、社会状態がどうであったかということは、皆さん方よく御存じのとおりです。そういう中で、私もずいぶんすすめられて、公務員になろうか、あるいはまた会社に入ろうかと考えてみました。ところが、家族を多くかかえて、そういうこともできません。食べられない。