1986-04-02 第104回国会 参議院 内閣委員会 第2号
3 方面隊は、通常、方面兵站基地に捕虜収集所を、必要に応じ前方支援地域等に捕虜中継所を開設して、師団等からの捕虜の後送を行うとともに、必要な処置及び尋問を行った後、陸上最高司令部に引き継ぐ。 4 担送を要する捕虜の治療・後送は、衛生系統により行われる。 こういうふうに具体的に捕虜の取り扱いが規定をされているわけですね。特に「大量の捕虜を獲得した場合は、」と、こうなっているわけですがね。
3 方面隊は、通常、方面兵站基地に捕虜収集所を、必要に応じ前方支援地域等に捕虜中継所を開設して、師団等からの捕虜の後送を行うとともに、必要な処置及び尋問を行った後、陸上最高司令部に引き継ぐ。 4 担送を要する捕虜の治療・後送は、衛生系統により行われる。 こういうふうに具体的に捕虜の取り扱いが規定をされているわけですね。特に「大量の捕虜を獲得した場合は、」と、こうなっているわけですがね。
いわく、兵站基地、輸送基地、重要な通信輸送の中心地、さらにはVOAの重要な活動地点である」と、こういうふうに説明をいたしているのであります。
いわく、兵站基地、輸送集合地点、作戦基地、重要な軍用通信、輸送の中心地、さらには、VOAの重要な活動地点である。——これはなるほど、六六年で、ベトナム戦争が、北爆が始まって相当激しいときであったと思いますが、そのVOAが、そういったような意味で、少なくとも戦闘作戦行動をやっている地域に対して、戦略的な謀略といいますか、放送をしていたことは間違いないと思いますが、これを否定されますか。
その収容所のうしろに師団の収容所があり、そのうしろが野戦病院であり、その次が各空軍基地等にある基地の病院で、その最後のものが軍病院という総合病院になっておりまして、この総合病院には、もちろん軍人軍属の家族、あるいは戦線で負傷した者で救護所、収容所あるいは兵站基地病院等を経てかつぎ込まれる患者もおるわけでありまして、私との申し合わせば、ベトナムから直接王子に患者を運ばないという意味であって、美濃部さんに
それから、第三に、日本国から行なわれる戦闘作戦行動、これのための基地としての日本国内の施設及び区域の使用でありますが、この行動は兵站基地としての使用を含みませんで、また、日本からの移動、または沖繩または外国へ移動した後この地を戦闘作戦行動の基地として使用する場合も含まれない、こういうことを申しておることは、もうすでに御承知の通りでございます。
新しく兵站基地を作っております。アメリカの戦闘団はことしになってから、四個団がよけいに南朝鮮に入っておる。八月十日以後だけでも、核戦争を想定した演習を含めて、大演習を六回やっております。アメリカの軍部の高官は、これは私が名前を言わぬでも外務大臣御承知だと思うが、六人出入りしておる。艦艇駆逐艦を加えて七隻というものを南朝鮮にアメリカは貸し与えました。
しかしながら、この点につきましては、南ベトナムが日本の兵站基地であったという関係から、南ベトナムが大きな物的損害をこうむったという事実は、政府が引用されました米、ゴム等農産物の受けた損害によりましても、その一斑をうかがい知ることができるのであります。
○政府委員(伊関佑二郎君) ベトナム側は、この日本軍の戦闘行為あるいは日本軍の占領行政、ことに南方方面軍司令部がございまして大きな兵站基地になっておったのでございます。非常な大量の物資の買付等も行なわれております。そういう占領行政あるいは米軍の爆撃、こういうふうなことによります直接の損害をつかまえる資料というものがない。
米とゴムは代表的な例にすぎませんが、南ベトナムが、当時広範な南方作戦に従事するわが陸海軍に対する兵站基地の役割を果しておりました関係上、日本軍による物資調達、施設接収等がもたらしました経済的混乱は大きく、各産品にわたり、その生産、分配の正常な運営を乱して大きな物質的被害を南ベトナムに負わしめた事実は、否定できないのであります。
そうしまして、この時期から一九四五年の八月の終戦まで、文字通りインドシナ、現在のベトナム南北は、日本軍の南方アジア作戦の軍事基地としまして、そしてまた重大な兵站基地としまして確保されていたのであります。その間、最も私が印象深く感じましたことは、この約五年間における現地人、ベトナム人の対日友好感情というものは、終始変わらなかったのであります。
しかし御存じのように私は軍人でありませんからよく知りませんですが、日本軍の南方作戦というものの南ベトナムの重要性というものは、大体兵站基地としてこれを非常に重視しておったのだと思います。そのために軍はこの南ベトナムの米を現地においてたくわえるのみならず、これを他の地域の日本軍に向かって補給しておったというようにも見ております。
大陸侵略の兵站基地として四十年間も支配しておいて、今になっては恩恵を施したといい、サンフランシスコ条約では在韓財産権を放棄しておきながら、いざとなると、それを持ち出しておるからであります。日韓会談に関する限り、両国民の理解と親善は促進されるかわりに、全くその逆であったということがいえるかと思います。
○高碕国務大臣 そのために私は直接視察をいたしておりませんが、先般バンドン会議に参りましたときに、できるだけそういう方面はよく見てきたわけでございますが、御説のごとくインドネシアが戦争において受けた損害というものは、日本との戦争でなくして、むしろ独立戦争で受けた損害が多い、こういうことも見られると思いますが、ただし日本といたしましては、占領期間中兵站基地としてあのインドネシアから多数の労力を生発し、
○田中(稔)委員 日本側と向う側の言い分はだいぶ違うのでありますが、私ども現地にありました者として、なるほど戦闘は行われなかったけれども、インドネシアが戦時中日本の南方作戦の兵站基地となって、物資にしましても、労働力にしましても、ここから非常に方々に持ち出された。
大東亜戦争にまで戦争が拡大されて、私たちは、現地から、南方の方がああいうふうに忙しくなれば、満州に来る開拓民はないだろうと思っておりましたところが、それどころではない、第二期五カ年計画というのを昭和十七年に決定をして、そうしてまた大量の送り出しに拍車をかけたわけでございまして、このときの第二期五カ年計画は、もう純然たる国防移民でございまして、北辺鎮護ということと、関東軍の背後を守る防衛の拠点を作る兵站基地
従って、首相の言う米軍の日本基地の使用とは、単なる兵站基地としての使用にとどまることなく、日本基地よりの中国本土への爆撃も当然予想しての首相発言と思われますが、首相は一体いかなる考えのもとにかかる重大なる発言をなされたか。ほんとうに首相は中国本土爆撃にアメリカの空軍が日本の基地を使用することを是認されるつもりなのか。
○伊関政府委員 先ほど申し上げましたのは原則論的にそういうふうな行き方で解決して行きたい、こう申し上げたわけでありまして、目下のところこの次にはどこという目当はございませんが、逐時朝鮮の事態が治まつて参りますれば、呉における後方兵站基地としての活動も縮小されるであろうし、また今後十五返しましたあとでの実際の使い方等も常時注意して見ておりまして、これを逐次実現して行きたい、こういう考えでありまして、さしあたつてこの
駐留軍に対しまして今グアム島の重要な兵站基地でありますが、同時に李承晩ラインその他で非常に困つておる内地にも非常に経済的寄与ができる。ただ一定の政府の融資なりあるいはあたたかい手を延ばすならば、自活どころではない、これは日本経済に非常なプラスになるということを御認識願いたい。従つてあなたが対米交渉において、この二つの理由が頭にあつて対米交渉をなさるなら、非常に間違いだ。
なるほど派兵はしないけれども、日本は国連軍の兵站基地として、あるいは作戦の基地として、重大な関係を持つて来たことは事実である。ならば、この政治会談に日本が参加するということは、当然過ぎるほど当然である。しかるに一体どういう手を打つたか。どれだけの熱意と気魄を持つて、日本国がこの政治会談に参加できるように、どういう努力をされるかということを私は伺いたい。
一つの兵站基地、非常に遥かな兵站基地、そこに現在一応は戦闘に従事しておる現在でございますから、若し本当に長い間迷惑をかけた大学のためを外務省なり保安庁というもの又現政府が考えるならば、何とかそういう途を解決して、まあ土地も確保できるじやないかという気持でやつて頂きまするならば、これは私は途は通ずるのではなかろうかと思うのです。そういう点に顧みまして、これまで御研究されたことがありますか。
朝鮮戦線における共産軍の兵站基地であります。従いまして、スターリンとしては、それに相当する報復爆撃を米軍の兵站基地たる日本に加え、戦場を日本に拡大し、アジア全域にわたり大消耗戦を展開するのではないかと考えるのであります。このように日本の運命に重大な影響のある満州爆撃に関して、日本としては発言を許されないということを、慎重に考えねばなりません。