2009-05-12 第171回国会 衆議院 予算委員会 第27号
○鳩山国務大臣 日本の社会とか文明はしっとりとしたウエットな共同体社会だというのが特徴だ、それに対して昨今の政治、行政が、ややかさかさ、ドライに走っていたのではないか、そういう反省の中で、公立病院の問題等は人の命にかかわることでございますから真剣に取り組まなくてはいけないと思っておりますが、やはり、原因ということであれば、それは医師不足の深刻化と診療報酬のマイナス改定が大きかったと思いますし、職員数等
○鳩山国務大臣 日本の社会とか文明はしっとりとしたウエットな共同体社会だというのが特徴だ、それに対して昨今の政治、行政が、ややかさかさ、ドライに走っていたのではないか、そういう反省の中で、公立病院の問題等は人の命にかかわることでございますから真剣に取り組まなくてはいけないと思っておりますが、やはり、原因ということであれば、それは医師不足の深刻化と診療報酬のマイナス改定が大きかったと思いますし、職員数等
もう一つは、農家もしくは農業法人もある程度そうですけれども、どちらかというとやはり共同体社会なんですね。片や商売をやっている方は、完全な営利追求の株式会社なんですよ。ですから、その辺での意思の疎通というか意思決定の仕方が違うんです。
安全保障共同体、経済共同体、社会文化共同体、この三つの異なった種類の共同体を同時並行的に実現しようというのがASEANの戦略であります。ただし、名前は派手、格好いいのでありますが、その実現目標を検討してみますと、今まで基本的に合意されていたことをきちんと実行するのだということの再確認であるというふうに私は考えております。
○赤嶺委員 そうすると、今まで国民に向かって皆さんが、サマワは部族の共同体社会で、横の連携も非常にあって、そして情報も入りやすいんだ、自衛隊との関係も良好だというようなお話をしたわけですが、やはり一部は、自衛隊に反感を持っている部族も警戒しなければいけないようなことになっているんじゃないか、そういうことなんでしょうか。
私も、日本農業でプロ農業を大事にするというのもいいんでしょうし、所得政策もいいんですけれども、農村社会というのは、言うまでもなく、一本の水路、一本の農道を通じながら共同体社会が営まれている。春は、水路の水引きをして、春祭りをやって豊作を祈願する。秋には、農道を整備して、収穫のできる農道をつくって、秋祭りをして豊作に感謝する。
つまり、農村社会は集落社会でございまして、確かに主業農家もある、兼業農家もあるんですけれども、一戸や二戸で日本の稲作が保たれているわけではないわけでありまして、農道や水路の補修などは集落が総出でやるという共同体社会が育っているわけですね。かつては春の種子消毒から秋の収穫に至るまでいろいろな共同作業があって、共同体社会が成り立っていた。
そういう意味では、農村共同体社会を維持する上で極めて重要な役割を果たしてきたのだろう、こういうふうに思いますし、あるいは、転用規制や賃貸借規制を中心に農地の所有権や利用権、農業生産の手段としてきちんと法的に規制している、このことが、他の土地一般とは非常に区分して、農地問題については行政が直接的に関与、介入できる姿をつくってきたのだろうというふうに思うわけであります。
豊作に感謝する秋祭りをやる、そういう農村共同体社会は一体残るのであろうか。何か、皇居でしか田植えと稲刈りが行われなくなるのではないか、お祭りが行われなくなるのではないかということも懸念するわけであります。 そう考えますと、今の農村社会は、だれでもが農家で、だれでもが農村社会のインフラやお祭りに責任を持つ、そういうことが当然であるという時代が確実に終わりつつあるのだろう。
そういうもともと稲作の共同体社会から発した日本という国、私はその辺の関係が実はこの失業率の低さあるいは日本型雇用慣行、そして日本の経済の強さに反映をしていると思っているわけです。ですから、そういう意味で私は常に潤いのある社会を目指していくことが与野党ともに国会議員の役割ではないかと。
また確かに交通人口と道路の割合からいいましても、日本が一番困っているわけでありますし、日本で抜本的な解決策を見出して、そうして交通何といいますか、共同体社会というようなすばらしいものをどうしても考えなければいけないのじゃないか、そういうぐあいに考えております。
そういうような立場に立って、少なくともわが国においても交通環境の整備といいますか、または交通共同体の、共同体社会の確立といいますか、そういうような立場で、この立法の精神といいますか、法の精神を改正して、そして抜本的に検討していかなくちゃいけない、もうそういうふうな時期が来ているんじゃないかと、私はこのように思うんですが、公安委員長の所見を伺いたい。
そういう考え方の中から、ドイツにおけるあのゲマインシャフト、いわゆる交通共同体社会、こういう考え方が前提となっているようでありますけれども、そういう方向にやはり前進させていかなければ意味をなさない、私はこういう考えを持つわけでございます。
世界各国の大学観は、研究と教育を目的とする共同体社会として、学生を大学社会の構成員とし、大学の運営に大幅な参加の地位を認めるとともに、責任を持たせることが常識となっておるのであり、この法案の発想は時代錯誤もはなはだしいといわなければなりません。
いま一つは事業の共同体、社会性を理解しないところから来る答弁だと思うのでありますけれども、その批判は別にして、あなたは今度労働大臣の立場で、民間の労使関係というものが荒れてくれば、それが自然響いて公務員の問題になってくることは、共同の闘争戦術を組む組まぬは別ですが、必然的な傾向であるわけであります。