1948-04-26 第2回国会 参議院 議院運営委員会 第29号
むしろ西尾國務相のごときは、非常にあつさり行くように仰せられておりますが、私は苟くも公黨が黨大會で決定をし、天下に公約しておる以上は、そう私は簡單に片が附くものではないとかように思うのでありますが、そういうような事情のために、私は豫算が來月中旬お約束のごとく出ないというようなことがないように、その點をはつきり責任を明らかにして頂きたい。
むしろ西尾國務相のごときは、非常にあつさり行くように仰せられておりますが、私は苟くも公黨が黨大會で決定をし、天下に公約しておる以上は、そう私は簡單に片が附くものではないとかように思うのでありますが、そういうような事情のために、私は豫算が來月中旬お約束のごとく出ないというようなことがないように、その點をはつきり責任を明らかにして頂きたい。
私どもはこの惨澹たる寂寥たる言論のない國會に對しまして、逆にもつとどんどん意見を出して政府にも建言すべきであるし、少くも一つの公黨でありますならば、民衆の直接の問題に對しましては、大膽率直なる意見を、責任もつてやるべきであると考えておるのであります。 大體具體的な問題を最後に御質問いたしたいと思いますが、はたしてこのパリティ計算によります七十一品目のものが、どの程度にマル公でくるのであるか。
その意味において、政黨が公認した者の言動に對して嚴重に責任をもつということは、公黨の面目として當然とるべき處置ではありましよう。しかしながらその間の國民の選擇は自由でありまして、その候補者がいい加減なことを言つているかどうかということは、おのずから選ぶところの國民の見識の問題である。その程度にまでわれわれがこの法律をもつて規制することはどうか。
いやしくも政黨法によつて政黨が公黨的性質をもつとしますならば、公認、非公認という區別があるはずはないのでありますから、政黨法によつて規律せられる政黨の候補者は、全部公認候補者ということにならなければなりません。政黨法の適用を受けない政黨は、非公認であろうが、公認であろうが、これは自由なことになるのが當然であります。
これは將來天下の公黨として紳士的に行動しなければならないのでありまするから、ちようど株式會社等がやりますように、年何囘かを期して天下に公表すべきものであると思う。うその公表はわかります。うそを公表するものは信頼を得ません。正しい公表をするものが、次第に信頼を得て黨費も集まると信じます。
しかしながらそれ以上の問題について、政黨は國家の公黨であり、政黨の活動についは明らかに公共的な活動と見ることは、もう當然そう考えてしかるべきでありますが、その政黨本來の費用についてまで國家がどうこう言うことは、相當行き過ぎではないだろうかと考えておるのであります。
この意味におきまして私は政黨を正しいものとし、天下の公黨として寄與せしむるためにも、選擧費用の國庫負擔、つまり選擧の公營という面を今後強く取上げたい。今日も若干の公營にはなつておりますけれども、なおかつ一人が數萬圓の金を要するといつたようなことが殘つておるのであります。これは選擧法に關連しておりますから、後に言いますが、選擧費用をできるだけ公營に移すようにいたしたい。
今囘の政治を動かす政黨は公黨であります。天下の公黨であつて、あらゆる研究と議論の上に根據を固めて、過たざる政治を行うべき政府の責任をとらなければならぬ。政治の責任が、今日はすべて政黨に歸しております。政治を重大に見れば見るほど政黨には理想がある。殊に國内に群小政黨があつて、議會政治に常に紛淆を生じ、政治の安定を得ないというようなことは、私はきわめて憂うべき現象だと思うのであります。
というものはそもそも間違つていやしないかと思う、政黨法でなしにいわゆる政治の活動法、直接國政を左右するこの國會の活動に歸一してくるのであります、從つて代議士と參議院議員の政治活動を一つの規則によつて國民が監視する、この精神でいけば私はいいと思う、これでなく逆に政黨からいくと何か國民から起つてこようとする意思のあり方というものが一定の數字に達しないと、それが國の意見としで取上げてくれない、そうではなく公黨