1973-06-14 第71回国会 衆議院 内閣委員会 第29号
またP3の問題は、ほかに大臣が何人、どういうことを言ったのか知りませんが、私自身は、公害閣僚会議で参りました際に、キッシンジャーとの間に、復帰の日までに嘉手納基地に移すことを、しかも新規土地の取得をしないで約束をしてきておるわけでありますから、そのことが実行されないでいま居すわっていることについて、私としては心外千万なものの一つであるということで、就任直後から外務省にも話し、また私自身も直接行動を開始
またP3の問題は、ほかに大臣が何人、どういうことを言ったのか知りませんが、私自身は、公害閣僚会議で参りました際に、キッシンジャーとの間に、復帰の日までに嘉手納基地に移すことを、しかも新規土地の取得をしないで約束をしてきておるわけでありますから、そのことが実行されないでいま居すわっていることについて、私としては心外千万なものの一つであるということで、就任直後から外務省にも話し、また私自身も直接行動を開始
このことは私も要請もしましたし、公害閣僚会議でアメリカに渡りましたときに、国務次官あるいはキッシンジャー等と話をいたしました。そのときには、嘉手納空港の現状のままで格納庫を一部つくってもらえば移れるだろうという話であったわけです。
しかし、しいて何か心配事があるかというならば、私が先般アメリカに参りました別な公害閣僚会議のときに会った関係者の印象から、アメリカの政府側としては、やはり上院の審議というものを心配しているなということはひしひしと感ぜられました。しかし、それが三十四名の通過不可能な状態にまでなるとは思われない。
それから、私はたまたま日米公害閣僚会議でアメリカに行きまして、ニクソン政権下のアメリカというものを病める巨人という感じでいろいろ見てまいりました。失業率六%を上回る実態、あるいはまた黒人問題その他、ニクソンの、これは次元の低い話ですが、次の選挙で横たわるあらゆる課題というものがアメリカには一ぱいある。
先般、沖繩の琉警が公海上に行きまして、現実に廃油をたれ流している船をつかまえてみたのですが、それが外国船であった、どうにもならなかったという報道等も一部あったわけでありますが、私としては、沖繩のみならず、奄美群島並びに鹿児島県の種子島あたりまでそういう汚染の状態が広がっておりますし、さらに小笠原あたりまでもそういうことがいわれている、このことは、先般の日米公害閣僚会議でも、太平洋は共通の海である、だから
○国務大臣(山中貞則君) これは昨年、米国大統領の環境問題諮問委員会の委員長であるラッセル・トレイン氏と私との間に行ないました第一回の日米公害閣僚会議を受けて、第二回目としてワシントンにおいて六月一日、二日の本会議をはさんで、各種専門家同士の会議を行なっていくわけですが、今日までいろいろと、何を相談し、どのような成果をあげるかというような問題で議題になるような案を詰めているわけでございます。
このほか沖繩復帰対策予算、沖繩の糖蜜対策、沖繩の医療対策、無過失損害賠償責任、公害被害者救済、日米公害閣僚会議、運転免許行政、元事務次官の農地取得、同和対策等の諸問題につきまして質疑が行なわれました。
○山中国務大臣 日米公害閣僚会議でありますが、これは私どものほうが提案をする番でございました。昨年はアメリカが日本に参りまして、私どもがそれを受けたという形でありますので、その際の取りきめによって今度はアメリカで行なうということで、何月ごろにしたいということで、それぞれ両者に意見の食い違いがございました。いま最終的に六月の上旬ならば両者何とか折り合いがつくのではなかろうか。
その前に、いまの日米公害閣僚会議ですが、実のあるものにしてもらいたい。いまたまたま海上汚染防止法ということを言われたが、あれなんかも問題なんですね。
この点について、あなたは責任者であります佐藤首相に対して積極的に進言すると同時に——この公害閣僚会議の責任者は一体だれですか。
公害閣僚会議のメンバーでございますが、行政管理庁長官と外務大臣と郵政大臣を除く国務大臣、みな入っております。 それから、二月二十六日の公害閣僚会議に私出席いたしましたが、ちょうど予算委員会等の関係がございまして、非常に短時間の審議であったと思います。それで、いまの御指摘の基地公害の問題は、当初政府の原案には私たしか入っておったと思います。