なお、午前中から公共性、独立採算制の話もいろいろ出ておりました。とはいいますものの、国鉄が全部収入で賄うという完全な独立採算ができる企業体であるとも思いませんし、また、公共性を持っておる以上は、収入だけで経営が成り立つようにすべきであるということではございません。
おそらくいまの倍くらいになるだろう、こう思うんですが、そういう意味で、私は国鉄経営のことはよくわかりませんけれども、いままで一番利益をあげた国鉄の公共性、独立採算制というものがやがてくずれるんじゃないか。昭和六十年には自動車の台数は三千五百万台になります。大体いま一億十六万ですから、三人に一人くらい、もっと人数は多くなる。
加えて公共性、独立採算であります。公共企業体、われわれにはとても理解ができないそういう名称を付せられて、あくまでも独立採算制を強要されている、こういうのが、いまの国鉄経営の実態であると私は考えている。だから、そういうものに対しまして、私は当然国家の中で、国鉄に対するそれらのめんどうといいますか、見ていくのが至当じゃないかというふうに考えるのです。
してみれば、その公共性——独立採算をしていかなきゃならぬが、今のようなそういう一つのへんぱな経済の格差ができ、さらに農業生産に支障を来たしてくるということになりますれば、私は鉱工業生産にも結果的には支障を来たしてくると思うのです。こういうような事実が、もうこれは至るところに現われておるのです。
○国務大臣(池田勇人君) 国鉄の公共性、独立採算制という問題は、前から非常に議論がございました。御承知の通り、私も古いことは存じませんが、昭和二十六年の位上げのときまでは、御承知の通り鉄道への一般会計の繰り入れば毎年三百五、六十億円になっています。当時取引税がございまして、取引税の収入三百五、六十億円が、そのままとは言いませんが、財政的には一般会計からの国鉄の赤字補給になったわけであります。