2010-04-15 第174回国会 参議院 外交防衛委員会 第10号
したがって、今日も、もう時間ですから最後に申し上げますが、是非、この沖縄県民の島ぐるみ的な動きを、県民大会の状況、宮古・八重山群島はそれぞれの群島で開催する、そういう動きになっております。
したがって、今日も、もう時間ですから最後に申し上げますが、是非、この沖縄県民の島ぐるみ的な動きを、県民大会の状況、宮古・八重山群島はそれぞれの群島で開催する、そういう動きになっております。
港湾管理者たる大浜市長は、八重山群島は今次沖縄戦の犠牲者三千六百名を出しております。日本軍がマラリア地域に現在の石垣地域からも当時の住民を移して、そして、結果として三千余りの人間を、マラリアにかかりまして死んでいっております。したがいまして、沖縄全体としても軍事に対しては厳しい姿勢がありますが、この石垣市八重山群島はそういう戦争の教訓のあるところです。
沖縄本島の離島、宮古群島とか八重山群島、そして北部の市町村長たちとお話合いをしましたときにも出てまいりましたのが医療の問題でした。とりわけ、宮古に参りましたときに、産科の医者がいないと、そういう自治体がございました。ところが、その自治体は日本一出生率の高いところと。赤ちゃんを産むのにその島からさらに次の宮古島市に船で移らなければいけないと。
例えば、私の出身地の八重山群島というのがありますが、石垣島なんかでもそうですけれども、黒島というのがその近くにありますが、この島なんか、人口二百人、牛二千頭、こういったことでもって一生懸命やっている。しかも、今竹富町長をやっている方が県の畜産公社の専務理事をやっていて、ダニの撲滅について一生懸命取り組んで、ここ数年前にダニ撲滅が成功した。
まして、一番我々が心にとどめなきゃいかぬことは、当然そのように思っておりますけれども、日本列島、北の端から南の八重山群島に至るまで、それぞれが防災ということに関して区別、差別してはならない、当然のことでありますが、このように思っておるわけでございます。
そういう意味で、これはもう四度目の候補地決定でありますので、今後の八重山群島、あるいはとりわけ石垣市の産業経済振興、特に観光産業の推進ということを考える場合、あるいはその活性化を目指すという意味では、これまでの二十数年のタイムロスを埋めるように、むしろ前倒しで諸計画を推進していかなければならないと私は思うのですね。
総理は、沖縄本島のはるか南五百キロの八重山群島や先島群島の漁民の声を聞いたことがございますか。彼らの漁場には、一昨年三月、中国のミサイルが撃ち込まれ、既に年中行事のように中国政府の海洋調査船が、ここは中国の海である、本船には何ら違法はないと我が海上保安庁の巡視船に応答して、平然と調査をしております。今現在も領海を侵犯した中国の船がおるのでございます。 この事態に対し、彼ら漁民はどう言っているか。
DDTは、私も首に振りかけられた世代ですけれども、魔法の薬のように言われて、八重山群島の奇跡というんですか、あそこでマラリアを撲滅するのに非常に力があったとか言われておりますが、DDTでもう奇跡的なことが起きたわけですね。
○稲垣国務大臣 上原議員から御指摘になったように、沖縄の本島あるいは宮古八重山群島等を見てまいりましても、また、沖縄の本島を見ても中南部と北部では確かに基本的な条件の違いがあるわけでございまして、北部圏は豊かな自然環境を有しておるものの、中南部圏に比べまして、言ってみれば人口や諸機能の集積に相対的な立ちおくれが見られると思います。
そして、当時の農林大臣の落成式のあいさつがありますけれども、「本日ここに、」から始まりまして、国民共通の農業を守るためにと書いてありまして、沖縄八重山群島の石垣島中央以南に広がる三千七百ヘクタールの農地に農業用水の安定供給を図る国営かんがい排水事業、宮良川地区が完成の運びとなりましたことはまことに意義深いものがあります。
○国務大臣(岡部三郎君) 先生御指摘のとおり、八重山群島の振興開発また住民の方々の生活の向上ということを考えますと、やはり新石垣空港の建設というのは最も重要なプロジェクトであると我々も考えております。
○前原委員 一九四七年に刊行されました「八重山民生府衛生部業績別冊」というものに所収されている「一九四五年戦争による八重山群島のマラリアについて」という記述を読みましたならば、強制疎開による死亡者は三千七十五名ということであります。 確かに戦争というものの中で、戦闘あるいは空襲による死亡者あるいは障害を持たれた方、また物資や医療の不足による疾患というものがあり得ると思います。
残りました八重山群島につきましても、平成元年十月から根絶防除を実施してきた結果、本年のつい先ごろ、十月二十九日に根絶宣言をするに至ったところでございます。これによりまして、根絶事業開始以来二十二年になりますか、二十年余、沖縄県全域からウリミバエが一掃されたということになるわけでございます。
ことし十一月に八重山群島のウリミバエが完全に根絶される、沖縄群島というか琉球列島、南西 諸島全域からウリミバエがなくなるということは画期的な出来事なので、大変喜ばしいことです。
翌明治二十九年には沖縄県庁がそれを沖縄県の八重山群島の中に編入をいたしました。国土標識の標ですか、柱ですか、こういうものを設置いたしましたり、諸般の措置を講じたはずであります。そのとき日本政府がとりました領土権取得の原因は、国際法上有効な無主物先占を理由にしたものだと考えます。そのとおり間違いないでしょうか。
今、厚生省の方がお示しになられましたように、そこに生活する住民の方々の疾病の予防と治療という、そういう住民と親しい関係で信頼関係を持って医療を提供しているということ、それからさらに高齢社会に向かいまして、現在もそうでございますけれども、お年寄りの方々の健康管理や病気の不安に対していろいろ話し相手になってくださっているとか、それから今、介輔の方が久米島とか宮古島とか八重山群島の黒島、西表島などにおられますけれども
ただ、八重山群島における作戦には余りにも誤りが多いように思います。
八重山群島におけるマラリアで亡くなられた方の問題であります。この人たちは適切な措置さえ行われておったらとうとい生命を失わなくって済んだはずの戦争でございます一現地の統帥の人権を預かる司令官がやっぱり作戦を誤った結果であります。 理由は、敗戦の四月一日にアメリカ軍が沖縄本島に上陸をしておりますが、九十日間の戦いを済ませてアメリカは沖縄戦の終結を宣言いたしております。
しかし、ここ二十年ばかり私は沖縄が好きでよく沖縄の八重山群島というところで海へ潜ったりして写真をとったりなんかしている。そんなところへ行っても缶からなんかぼっと落としてあることがあるのです。リサイクルするにしても、落とされたらどうしようもないのです。私どもの郷里でも道路をつくるとそこの横の畑は缶だらけになります。
戦争中に八重山群島の中の石垣島、波照間島でアラリア地帯に軍命で避難をさせられたというようなことから、今マラリアのいわゆる犠牲者約三千名とも言われあるいは三千五百名とも言われておりますけれども、実数は明らかではございません。最近こういった方々に対しての補償問題が地元の市町村長会あるいは市町村議会あるいはまた遺族等々関係者の皆さんから大変切実な問題として取り上げられております。
八重山群島、宮古群島は、空路及び航路によりまして那覇市とつながっておるということが考慮されたところでございます。