2018-04-17 第196回国会 参議院 総務委員会 第6号
最後に、次のページも一つ紹介しておきたいと思いますが、「戦争中の重要種目であったニュースや講演を通じて記録されなければならないことは、第一に戦況の一方的押しつけと、必勝の信念、八紘一宇の合言葉などの氾濫である。指導者は国民に対し知らしむべからず、倚らしむべしの態度を取って来た。国民は官製の宣伝に踊らされただけであり、正しい意味での報道は行われなかった。」ということであります。
最後に、次のページも一つ紹介しておきたいと思いますが、「戦争中の重要種目であったニュースや講演を通じて記録されなければならないことは、第一に戦況の一方的押しつけと、必勝の信念、八紘一宇の合言葉などの氾濫である。指導者は国民に対し知らしむべからず、倚らしむべしの態度を取って来た。国民は官製の宣伝に踊らされただけであり、正しい意味での報道は行われなかった。」ということであります。
先月、三月十六日の参議院予算委員会で自民党の議員から、八紘一宇という言葉を使いながらこれを肯定的にする、そういう質疑がございました。 八紘というのは、四方、よもと四隅のことですけれども、転じてこれを天下、全世界と表して、宇というのは屋根のことであります。言葉そのとおり解釈すればそういうことであります。つまり、世界を一つの家とするという考え方です。
○国務大臣(下村博文君) まず、八紘一宇でありますが、これは自民党の三原じゅん子議員が三月十六日の参議院の予算委員会で発言されたことであります。私も、それは同席しておりましたから聞いておりました。
○三原じゅん子君 八紘一宇という家族主義、これは世界に誇るべき日本のお国柄だと私は思っております。この精神を柱として、経済外交に限らず、我が国の外交、国際貢献、こういったもの、総理には力強く今後とも進めていただけますことを最後にお願いして、質問を終わらせていただきたいと思います。 ありがとうございました。
これは、今でも宮崎県に行かれると八紘一宇の塔というのは建っております。宮崎県の人いない。八紘一宇の塔あるだろう。知ってるかどうか知らないけど。ねえ、福島さんでも知っている、宮崎県に関係ないけど。八紘一宇っていうのはそういうものだったんですよ。
そこで、今日、皆様方に御紹介したいのが、日本が建国以来大切にしてきた価値観、八紘一宇であります。八紘一宇というのは、初代神武天皇が即位の折に、天の下覆いて家となさむとおっしゃったことに由来する言葉です。 今日、皆様方のお手元には資料を配付させていただいておりますが、改めて御紹介をさせていただきたいと思います。これ、昭和十三年に書かれた「建國」という書物でございます。
私の宮崎市には大きな塔がありまして、平和の塔というんですけれども、八紘一宇と書いた塔がありまして、これは、当時、日本の領地であったところから石を集めて、子供たちの銅貨を集めて、それを潰して扉をつくって、船出を描いたというような柱があるわけです。
先ほどの八紘一宇の塔のところも地元の方に案内をしてもらいましたし、神武天皇の宮崎神社も案内をしてもらいましたし、もちろん高千穂にも行って一通り神社を回りました。すばらしいところだと思います。 戦後においても、一時期、神話については否定的でありましたが、しかし、やはり国の宝だと思うんですね。二百カ国近くある国の中で、神話を持っている国というのはそんなに多いわけではありません。
富国強兵って、これはいいとか悪いは別にしまして、富国強兵とか八紘一宇だとか大東亜共栄圏とか、いい悪いは別ですよ、そういうものが時代時代にあって、戦後も経済成長とか戦後の復興とかあったんです、国家目標というのが。ところが、バブル以降、国家目標というのが見当たらなくて、これは自民党時代もそうなんですけど、見当たらなかったんです。見当たらないうちに震災と原発の事故があった。
まあ時代も主張も全く違いますけれども、八紘一宇とか造反有理みたいな感じで、議会制民主主義に反するみたいなことを言われるとそうかなと思っちゃうかもしれないんですけれども、確かに議会制民主主義の根幹に触れるではないかという表現はそのとおりだと思います。
王道楽土などの宣伝で満蒙開拓の夢が語られ、果ては、大東亜共栄圏と東南アジアを視野に入れた領土拡大、侵略が八紘一宇の名のもとに進められました。農村の青年の圧倒的多数が、貧しさからの脱却を求めてこの道に動員されたのです。 私の同級生、当時十五、六歳の将来この国を背負って立つであろうすぐれた人材が、陸海の特別幹部候補生、特攻隊に次々と志願し、命を落としました。
一九三〇年代から四〇年代にかけて日本の指導者が声高に唱えた八紘一宇の思想は、世界を日本のイデオロギーのもとに従属させる主張であったと国際的に理解されています。誤ったこの日本主義は、自国民を悲惨な戦争に駆り立てただけでなく、近隣諸国民にも大いなる災厄をもたらしました。北東アジアの隣国においては、この記憶はまだまだ長く続くでありましょう。
そこで、神道とかかわり合いのあるような記事は教科書から全部抹殺するということが命ぜられたわけでございますし、あるいは、大東亜戦争、八紘一宇等々の言葉を使ってはいけないということになったわけであります。 しかし、日本はあの戦争は大東亜戦争と呼んだわけでございまして、それはいささかも変更はしていないわけであります。
刀に血を塗らないようにして世界を一つの家にしよう、八紘一宇ということをおっしゃったのが、いつの間にか、矛に血塗らずしてという言葉が戦争中に消えてしまいまして、結局は、神武天皇の勅諭と言われている、まあ後の方が書かれたのかもわかりませんが、それは思想として私は大切な思想だと思いますので、それが変えられてしまった。
それらは、神話の中の神勅による万世一系の天皇への絶対服従を求め、八紘一宇の精神によって、天皇を中心とする一大家長国家をあまねく四方八方に広げようという趣旨のものでした。ここでも、女性に対しては、個人や夫婦を基礎とする西洋流を退けて、日本の女は家に嫁するのであるから、家への服従、忍耐を旨とせよという息も詰まるようなものだったのを覚えております。
日本は、天皇の祖先の神がつくった国であり、そして代々の天皇が神として統治している国であるから、世界で一番とうとい国で、立派な国なんだ、だから世界制覇の資格がこの国にはあるんだということで、八紘一宇というスローガンのもとにあの戦争に走った、これは歴史の事実だと思うんですね。
当時の世論、私は八紘一宇であるとか、神国である日本がこれからますます旺盛に力を得ていくというような雰囲気が漂っている時代に子供のころを過ごしておったわけであります。委員は、世代はまたかわりまして、その後の世代に生きておられるわけでございますが、私どもはそうした時代の中で新しい時代を求めていくということで、新憲法のもとに、戦後、新たな歩みをしておるわけでございます。
西村氏は雑誌の対談で、日本の核武装を国会で検討すべきとか、国軍の創設とか、大東亜共栄圏、八紘一宇を世界に広げるとか、そういう持論を展開し、さらには女性だけでなく男性もべっ視する、そういう発言を繰り返しました。 〔委員長退席、理事鹿熊安正君着席〕 著しく人格と品性を欠いた発言だと思うわけですけれども、総理は、政務次官の人選を一層重視して見識、経験などを踏まえて人選した、そう述べられました。
八紘一宇と言ってばっとやったあれと同じ、翼賛体制に近い、そういうことなんですが、制度疲労論は全く根拠がない。 総理、やっぱり制度疲労で中選挙区制はやめるんだ、こう言われるんですか。
よく昔、八紘一宇という言葉があった。内容はと言ったら何だかだれもわからないのです。ですから、言葉と内容が一致しなければならぬわけです。 そこで、さらにもう一つ長時間労働の問題です。 八〇年のときに初めて政府が二千時間と数字を挙げた。これはこの前も申し上げました。これは八五年目標でできなかったわけです。だから、八五年でまた二千時間を出したわけですね。
その最初のときには大変厳しいものがございまして、神道指令、公務員は国家公務員であっても地方公務員であってもいかなる神社にも参拝してはならない、あるいは教科書から神道にかかわり合いを持つ神話や伝記は全部削れと言うてまいりましたし、大東亜共栄圏という言葉や八紘一宇という言葉も禁句になってまいりました。衆議院の選挙の前にも、立候補するためには資格審査を受けさせたわけでございました。
神国日本、万世一系、天皇の赤子、八紘一宇、大東亜共栄圏、聖戦完遂、まだまだありますが、これらの言葉はすべて上意下達、政府から国民へと一方的に流されていて、国民はこれを文字どおりオウム返しに受けとめていました。その当時はこれ以外の道はなく、選択の余地もなかったのです。
その目的は、植民地の獲得と石油等資源の確保にあったのであり、掲げられたのは「五族協和、八紘一宇」「大東亜共栄圏」というものでありました。第二次大戦後、日本は経済復興を遂げ、今日、対外資産は三千億ドルを超えて経済大国化し、海外権益は莫大なものとなっております。
日本がそのアジア侵略のエネルギー、戦争心理をかき立てるときに使われたスローガン、あるいは軍歌、その中で象徴的なことに、これは大臣も御記憶にあられると思いますが、皇威発揚、天皇の力ですね、皇威発揚、八紘一宇、一つの家なんだ、特に東洋に関してはそれを呼びかけました。