2019-02-28 第198回国会 参議院 政府開発援助等に関する特別委員会 第3号
一九〇一年に日本初の官営八幡製鉄所が建設されたことを契機としまして、日本の四大工業地帯の一つとして高度経済成長を牽引してまいりました。現在も我が国を代表する物づくりの産業が多く立地をしているところでございます。 次、五ページでございますが、工業の発展の当初、いわゆる煙突から吐き出される煙、あるいは工場の騒音、これは市民にとって実は繁栄の象徴ということで受け止められておりました。
一九〇一年に日本初の官営八幡製鉄所が建設されたことを契機としまして、日本の四大工業地帯の一つとして高度経済成長を牽引してまいりました。現在も我が国を代表する物づくりの産業が多く立地をしているところでございます。 次、五ページでございますが、工業の発展の当初、いわゆる煙突から吐き出される煙、あるいは工場の騒音、これは市民にとって実は繁栄の象徴ということで受け止められておりました。
そして、ノウハウがないため、その建設の設計、施工やあるいは技術支援に当たったのは、大切な日本の特許も含めたさまざまな技術支援を惜しげもなく提供したのは、時に日本の企業であります八幡製鉄所と富士製鉄であります。皮肉なことに、今、賠償請求を出されているのは、この両社が合併した新日鉄であります。 五億ドルの資金提供をしただけではありません。実は、当時、日本は朝鮮半島に莫大な資産を持っておりました。
我が町北九州市、新日鉄住金八幡製鉄所が得意としている電磁鋼板が実はアメリカでアンチダンピングを打たれている、明らかに不当だという質問を一昨日外務委員会でさせていただいたんですが、TPPにおけるアンチダンピングの部分というのはほとんど何も書いてない。
中国におけるこの方向性の電磁鋼板というのは、実は全く別のところから最近物すごく問題になりまして、何かというと、我が地元、新日鉄住金八幡製鉄所から、この方向性電磁鋼板の技術がPOSCOに流出をして、そして、POSCOから宝山鋼鉄、宝鋼集団の傘下にある企業に流出をしたと。
私、地元福岡県北九州市、新日鉄住金八幡製鉄所、旧官営八幡製鉄所がございます。得意としている製品が、電磁鋼板というものがございます。米国において、無方向性の電磁鋼板、これは車のモーターとかに使われるものでありますが、これが二〇一四年にアンチダンピング課税をされております。
この明治日本の産業革命遺産の中には、我が北九州市の官営八幡製鉄所の事務所跡も入っているわけでありまして、ぜひこれが貴重な観光資源として有効に活用されることが大変大事だと思っております。 いわゆる軍艦島の保全、整備については、現在、長崎市主宰の高島炭鉱整備活用委員会において、概算費用も含めて検討されているところであります。この委員会には内閣官房からも出席して、助言も行っております。
福岡県労働基準協会連合会発行の「労働基準ふくおか」第百七十号に福岡県内の昨年の死亡災害発生事例三十一件の概要が載っておりますけれども、その中で、昨年十一月十五日に、新日鉄住金八幡製鉄所構内において、請負会社の二十三歳の労働者が排滓鍋の中に転落をし、大やけどを負って死亡した労働災害を紹介しております。こういうふうに紹介しています。
この事例で、実は私、福岡県北九州市が選出でありまして、官営八幡製鉄所がございます。今回の佐藤大使のステートメントの中で、犠牲者を追憶するための情報センターの設立等も検討するというか、そのことについてコミットしたかのような発言がありました。今、私の地元で非常に盛り上がっています、うちの地元につくるんじゃないかと。
今回、先ほどお話にありました、かつて三池炭鉱で採掘された石炭を輸出して、その後も百年を超えて産業港として現役で稼働する三池港や、八幡製鉄所、長崎造船所のクレーンなどの稼働資産を含む産業遺産群として日本初の推薦であります。
それから、長崎県の造船所の建物の一部も今現在使われているということで、文化遺産なんですけれども文化財保護法には全くなじまないという、現に使われているわけですから、そういったものを、現に使われているものを中に入れて、それを世界文化遺産に登録しようということなんでありますが、この現在の進捗状況と併せて、何か韓国がこれにやはり反対をしているということで、八幡製鉄所等々、あるいは炭坑等々、過去にいろんな韓国
この産業資産につきましては、文化財のほかに、八幡製鉄所や三菱重工長崎造船所、三池港といった、民間企業が現に産業活動を継続する資産を含む産業遺産群でございます。こうした稼働資産の保護措置につきましては、景観法、港湾法などが用いられますので、所管が文化庁以外の複数の省庁にわたっております。
そして、軌道に乗った段階で民間に譲り渡す官営八幡製鉄所方式により、特産品開発を強力に進めてきました。 まず、レモングラスについてであります。レモングラスについては、レモングラス課を設置し、最初の試験栽培など、農事組合法人が設立されるまでの間、市が直接実施をしておりました。
私の地元北九州、まさに物づくりの町なんですけれども、一九〇一年、官営八幡製鉄所ができました。今の新日鉄住金であります。以来、二十四時間三交代、ひたすらに物づくりで日本の近代化を支えてきました。いろんな栄枯盛衰もありました。実は、この国会議事堂、我々が今いる国会議事堂の鉄骨九千八百十トン、鉄筋五千五百二十二トン、全て八幡製鉄所で造られたということであります。
この決定は、北九州の八幡製鉄所や長崎の長崎造船所などの稼働中のものを含み、更にうれしいことには、私が平成二十二年十月十五日に質問主意書を提出して世界遺産として推薦するよう提案をしました長崎の軍艦島と呼ばれる端島も含まれています。 まずは新藤大臣に伺いたいと思います。
この件につきましては、先般、十二月に園田政務官そして蓮舫大臣に地元の北九州市の方に来ていただきまして、新日鉄八幡製鉄所の中の稼働資産について見ていただいたところでございますが、ユネスコの中においては、既に稼働資産で世界遺産になっているものというのがあるんですね。
緒方委員とは、昨年、稼働中の工場を、新日鉄の八幡製鉄所を視察させていただきまして、大変有意義な視察であったというふうに私も感じておるところでございます。 今、委員御指摘のとおり、私ども、今規制緩和に向けて、内閣府の中における規制・制度改革について、行政刷新会議のもとで設置をされております規制・制度改革に関する分科会において検討を行っているところでございます。
まさにそこでありまして、世界遺産にこういった稼働中の資産、稼働中の産業遺産を登録する際の問題というのが、今動いているものを登録するということの難しさでありまして、余りきつい規制がそこにかかると、うちの地元の八幡製鉄所などというのは、そこでまさに今動いていて、修繕をしている、そして鉄をつくるための工場が本当に今稼働しているわけであります。
日本の近代産業の幕あけといいますと、八幡製鉄所の第一号の高炉に火が入ったときかと思います。それが一九〇一年、今から百十年も前のことです。そのような我が国の近代産業の活動の歴史からしますと、二五%削減をしなければならないこれからの十年というのは極めて短い期間です。とても達成が困難な目標であるというふうに私は認識をしております。
その中でも、私が非常に懸念を持っているのは、実は私は出身が北九州という町でございまして、一九〇一年、官営八幡製鉄所ができて以来、日本の物づくりを支えてきた町であると自負をしているわけでございますけれども、では、製造業派遣というものが物づくりにどういう影響を及ぼすのかということについて強い懸念を持つところがございます。
八幡製鉄所ができたのが一九〇一年。ですから、二十世紀というのは福岡から工業化が始まったと思うんですね。 あるいは、台風が物すごく来る。さらに、温暖化が進んだときに新しい害虫やいろいろな疫病が発生するのは、多分九州からなんですね。鳥インフルエンザも含めた新しいウイルスが発生しやすい。また、港や空港がありますから、外から入ってきやすい。
○国務大臣(舛添要一君) これこそ非常に難しい問題で、お気持ちはよく分かりますけれども、例えば、私の生まれたところは北九州市で、昔でいえば八幡ですから八幡製鉄所がある。もうそれは毎日のように焼夷弾が上から落ちてきた。たくさん一般の戦災者の方がおられます。こういう方に対してどうするのかということは、それは今、中国残留孤児とか原爆症の方々、特別な事情が、これはそれぞれ説明できる事情があります。
私は北九州の八幡というところの生まれで、今は新日鉄になりますけれども、八幡製鉄所というところの城下町なので、すべて、ここの社員であれば、病気になったら病院も製鉄病院というのがあります。それから、スーパーマーケットも製鉄の、購買会という名前でありましたけれども、もう何もかも企業が面倒を見る。夏の海に行くときは、海の家も会社のものだ。
○舛添要一君 安倍総理の御郷里の下関、それから麻生外務大臣の御郷里の飯塚、私も北九州市の八幡、同じ地域でありまして、この地域は朝鮮半島からの方々、戦前からたくさんいらしていて、下関で降りて関門海峡を渡って八幡製鉄所に働く、こういうことを我々ずっと見てきています。非常に私たちの地域は歴史の重みがございます。