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33件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2016-03-08 第190回国会 衆議院 環境委員会 第2号

だから、この問題もしっかり覆して、一点覆してよかったなと思っているのは、全員帰還を諦めて、住民方々選択をしてもらうことにした。帰還したい人は帰還する。ほかのところで住みたい人は住みたい。これを変えたのはよかったと思いますが、そのことも、私も地元の富岡町の人に聞いて、この委員会なり復興委員会でそういう提言もしてきました。自民党と公明党から提言書が出て、政府がそういうふうに改めました。

福田昭夫

2015-04-22 第189回国会 参議院 東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会 第6号

だって、全員帰還しないんだものと思われるかもしれません。しかし、先ほどの相双地域避難指定地域ぎりぎり外にある二つ病院は、今既に患者の数は震災前の八〇%から一〇〇%、ほとんど戻っているんです。  なぜでしょうか。住民がそれほど戻っていないのになぜでしょうか。戻っている住民のほとんどが高齢者だからです。それに加えて、原発の作業員除染作業員病院に来るからです。

森まさこ

2014-06-17 第186回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第4号

ただ、今度は外務省さんなんですけれども、もちろん、この特定失踪者八百六十人、拉致被害者はもちろん、全員帰還引き渡しを迫るべきなんですが、北朝鮮もそうなんでしょうか。北朝鮮の方では、特定失踪者、完全に八百六十人全員が含まれるという認識でいるんでしょうか。

田沼隆志

2014-06-02 第186回国会 衆議院 安全保障委員会外務委員会連合審査会 第1号

この問題の結びに当たりまして外務大臣に伺いたいのは、我々が考える拉致の解決の三要件、認定の有無にかかわらず全員帰還させる、そして真相究明実行犯引き渡し、これについては揺るぎない姿勢で臨む。つまり、調査の結果によっては何度でも再調査を求めるという姿勢、この強い姿勢で当然いくべきだという御決意なのかどうか。  

渡辺周

2014-02-24 第186回国会 衆議院 予算委員会 第13号

黄川田(徹)委員 全員帰還ということで、さまざまな政策に取り組んで頑張ってきたわけでありますけれども、しかしながら、復興の足元の現実も見詰めていかなければならないということでありまして、まさに三年という節目の中で、津波被災地もそれぞれ決断していかなきゃならない、そしてまた長期避難福島方々も、戻る、あるいはまた戻らない、戻らないというよりも戻れない、さまざまあると思います、さまざまな選択をしていかなきゃならないということだと

黄川田徹

2014-02-24 第186回国会 衆議院 予算委員会 第13号

黄川田(徹)委員 残り時間も少なくなってまいりましたので、やはり、福島復興なくして東北再生はなし、日本再生はなしだと思っておりますので、福島県の最重要課題であります全員帰還に関しては、方針転換ということで大きく変わってきておりますけれども、その方針転換の思いを、初めに総理にお尋ねいたしたいと思います。

黄川田徹

2014-01-28 第186回国会 衆議院 本会議 第2号

その柱は、避難者全員帰還原則を断念し、帰還困難区域住民には慰謝料を追加する一方、避難指示解除区域においては早期帰還を促すというものであります。  しかし、これは福島再生への加速なのでしょうか。  総理アンダーコントロールだと国際社会に宣伝した汚染水問題は、今も解決していません。除染廃炉被災者への補償も遅々として進みません。  

海江田万里

2013-12-03 第185回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第2号

私どもが繰り返しこういうふうに申し上げるのは、もちろん町を再建するということも大事であるが、個々の生活をしていらっしゃる、仕事をしていらっしゃる方の現実を見れば、そこの大きなテーゼ希望者全員帰還という大きなテーゼが、実は、生活再建、もう一回やり直す、そういう移住を希望されている方々生活をなかなか支援し切れていない、そういう現実を生んでしまっているんだという立場から、ずっとこの三月から訴え続けてきたわけでございます

足立康史

2013-12-03 第185回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第2号

○根本国務大臣 全員帰還方針転換したとの一部報道がありますが、そうした方針政府として示したことはありません。  帰還を希望される方々に対して、政府としては、平成二十四年七月十三日閣議決定した福島復興再生特別措置法基本方針、こういう基本方針政府方針としてあります。この中で、「帰還を望む者が皆帰還し、地域の将来を担う若い世代が帰還する意欲を持てるよう、責任を持って対応する。」

根本匠

2013-12-03 第185回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第2号

先ほど冒頭私が申し上げた全員帰還方針、これは復興大臣にぜひ、全員帰還方針政府方針転換ということが今報道で取り沙汰をされていますので、その点について改めて御見解をお聞きしたいわけですが、その前に、今、文部科学省原子力損害賠償紛争審査会追加賠償の内容について御審議をされている、ここで住宅の取り扱いについて議論をしています。

足立康史

2013-11-29 第185回国会 衆議院 環境委員会 第5号

私は、その後任として、この復興大臣、バトンを受け継いだわけでございますけれども、今委員御指摘のとおり、政府として、報道されているような全員帰還原則というものを示したことはございません。  政府として示したものは、吉田委員がまさに副大臣として在任のときでございますが、平成二十四年七月十三日に、福島特別措置法基本方針を閣議決定しております。

浜田昌良

2013-11-29 第185回国会 衆議院 環境委員会 第5号

さらに、きょうは復興大臣にも来ていただいておりますが、この国有化報道に合わせて、つまり、国有化ということは、全員帰還という従来の政府方針を大きく転換するものだという解釈が新聞紙上でなされております。  ただ、私は、今まで政府としてこの全員帰還という方針を掲げたという記憶がないんですけれども、この辺の事実関係を確認したいと思います。副大臣、よろしくどうぞ。

吉田泉

2006-12-20 第165回国会 衆議院 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会 第7号

自衛隊が行くことによって救われた人もいたということを、私は、現実にできることをやっていくという考え方からいえばよかったのではないかなというふうに思うし、幸い、精鋭の自衛隊が行ったものですから、無事に全員帰還をしたということを私たちは素直に誇っていいことだと思うんです。  

今津寛

1997-07-09 第140回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号

これによりますと、昭和二十年の十二月以降、第一軍司令官みずからが全員帰還方針を各部隊説明してこれを将兵に徹底することに努めるなど、残留希望者帰還について説得を続けてまいったわけでございますけれども、その説得に応じず残留した者である。ですから、自己の意思で残留したというふうに承知いたしております。

炭谷茂

1997-07-09 第140回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号

説明員炭谷茂君) 残留者に対する帰還についての指導でございますけれども、まず、先ほど御説明いたしましたけれども、昭和二十年の十二日から第一軍司令官澄田中将みずからが各部隊に対して全員帰還方針であるということを説明してまいったということでございます。  さらに第二番目には、当時の支那派遣軍の参謀でございます宮崎中佐でございますけれども、昭和二十一年の三月九日に飛行機で太原に参っております。

炭谷茂

1993-05-19 第126回国会 衆議院 外務委員会 第10号

一つは停戦の合意、そして二つ目武装解除、そして三つ目難民帰還タイ国境地帯に逃れていた三十七万人が全員帰還された、そして第四番目として総選挙、この四つの大きな柱がある。  先ほど局長の方から説明がありましたが、武装解除がなされていない。ポル・ポト派は全くこれを拒否した。そしてその他三派に関しても、二、三〇%しかやられていない。

東祥三

1992-04-07 第123回国会 参議院 内閣委員会 第4号

ただいま御質問の、当時中国山西省にありました日本軍の第一軍でございますけれども、これにおきましては、山西軍残留を希望する将兵に対しまして全員帰還方針をもって説得しております。それで、これにもかかわらず、その説得に応ぜず残留した者に対しまして、当時の陸軍部隊復員に関する規定に基づきまして現地召集解除の処置がとられたものであります。  

村瀬松雄

1992-03-05 第123回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

現に、最後まで残って全体の指揮をとった今村大佐という方がおられますけれども、全員帰還の手続をとって、司令官にだまされた旨の述懐をして自決をした方の奥さんであると伺っております、東京地裁にこの問題で、現地復員処理認定無効確認等請求事件というのを提訴しておられるようであります。十分な調査を今までやっていただいておればといううらみは残ります。

山中邦紀

1992-03-05 第123回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

一時期におきましては確かに一万人が残留するというところまでいったわけでございますけれども、その後全員復員するんだ、そういうふうに徹底いたしまして、これは細かい経過がございますが、いたしまして、これは実は閻錫山が第一軍に対して正確な情報を流しておらなかったということがございまして、そういう正確な情報を承知いたしましてからは第一軍司令部全員帰還だ、帰還するんだ、こういうことを徹底いたしまして、各部隊長

村瀬松雄

1992-03-05 第123回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

○山中(邦)委員 請願に対する処理要領として厚生省が提出した文書によりますと、現地召集解除を行った、その措置は「昭和二十年十二月から昭和二十一年一月にかけて第一軍司令官」、澄田中将ですが、「自らが全員帰還方針を各部隊説明して、これを将兵に徹底することに努めた。」こうあります。「さらに、当時の支那派遣軍参謀昭和二十一年三月九日に直接太原に赴き、第一軍首脳及び閻錫山に対し全員帰還方針説得した。

山中邦紀

1991-03-26 第120回国会 参議院 内閣委員会 第3号

これを踏まえまして、さらに一軍がその全員帰還方針のもとにやはり説得に努力を重ねたわけでございますけれども、これが最終的といいますか、二十一年の三月の下旬でございますけれども、これも先ほど先生の御指摘ありましたように、約二千六百名の方々残留をするということになったわけでございます。  その経過は、やはり相当第一軍も含めまして説得をしております。

村瀬松雄

1983-09-20 第100回国会 衆議院 本会議 第6号

また、十八年の秋、本省に帰られた君は、昭和二十年、戦局の悪化のため、農林省が中国東北の各地に送り込んだ勤労奉仕隊の青少年を内地に呼び戻そうと努力し、現地に飛んで、やっと八月二十五日、全員帰還の段取りを手配されました。ところが、八月八日、ソ連の対日一方的宣戦布告、次いで中国東北地方への侵略が始まり、君の計画は画餅に帰しました。君は、後々まで「実に無念だ」とこのことを語るのでした。  

永末英一

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