1977-05-12 第80回国会 参議院 商工委員会 第7号
その後、坑内に残っている罹災者救出のために鉱山救護隊が出動したわけでございますが、非常に不幸なことでございますが、その後死亡者二十五名、負傷八名、合計三十三名の方が全員坑外に収容されたということでございます。
その後、坑内に残っている罹災者救出のために鉱山救護隊が出動したわけでございますが、非常に不幸なことでございますが、その後死亡者二十五名、負傷八名、合計三十三名の方が全員坑外に収容されたということでございます。
救出作業は、救護隊の入坑を待たず、自力または九卸近辺の係員などにより、十三時二十五分ごろには全員、坑外に出ております。 罹災の内容は、やけど及びCO中毒でありますが、負傷者のCO中毒の程度は、比較的軽度に済んだ模様であります。
ですから、前のところにずっと退避するか、その後、全員坑外に退避さして——この資料では人命には影響のなかったという事案もあるわけですね。せっかく退避しておるのに、のこのこ、そこで出して作業を命じて、そしてガス突出が起こって死亡者が出た。でありますから非常に残念に思うわけです。これはどういう判断であったのか、ちょっと私ども判断に苦しむのですが、どういうふうにお考えですか。
したがいまして、これは非常に大きな二次爆発の危険性もございまして、そういうことが考えられましたので、鉱務監督官といたしましては、当時坑内に入坑いたしておりました会社側の保安要員及びいろいろな関係の調査団の方々に、全員坑外に退去していただいたわけであります。
そのために、直ちに自然発火を起こしておるというおそれもございますので、坑内に当時入っておりました各調査団、これは炭労及び労働組合、その他いろいろな保安要員が相当入っておりましたので、直ちに全員坑外に待避いたしまして、この対策を協議いたしたのでございます。
もちろん一坑関係は全員坑外に上っておるわけでございます。 こういう状況のために、この流出ボタによって江迎川が、これは国鉄のすぐわきを流れておるわけでございますが、江迎川がせきとめられまして、水は国鉄を越しまして、県道の方が若干高いと思いますが、県道の方面へまでも流れまして、この江迎川のせきどめという事態によりまして、道路側の商店が浸水を始めまして、避難しておるわけでございます。