1993-04-13 第126回国会 衆議院 本会議 第19号
また、そうして昭和二十二年にこの制度を復活したとき、その当時は進歩党、自由党、そうして社会党、国民協同党、これらがみずからの立場を守るためにこの制度を復活したのでありまして、これは世界的に見て、一党制度でもなければ多党制度でもございません。その後、一党がすべての政権を支配するという中に、一カ二分の一政党と言われておる特殊な変形の形であります。
また、そうして昭和二十二年にこの制度を復活したとき、その当時は進歩党、自由党、そうして社会党、国民協同党、これらがみずからの立場を守るためにこの制度を復活したのでありまして、これは世界的に見て、一党制度でもなければ多党制度でもございません。その後、一党がすべての政権を支配するという中に、一カ二分の一政党と言われておる特殊な変形の形であります。
レーニンの時代に確かに一党制度になったのですけれども、当初はメンシェビキその他複数政党で十月革命の直後やっていたのです。それが武装蜂起その他反乱を起こして、それで禁止されるということで一党になっていったという歴史的な経過がソ連にはありますが、その歴史的な経過から生まれた個別的問題をやや普遍化し過ぎた理論的な行き過ぎもあったと我々は考えています。
そして、日本共産党が目ざす将来の独立、民主の日本、社会主義の日本においても、一党制度はとらず、暴力的破壊活動を行なわない限り、反対党の活動の自由を保障する複数政党制をとる態度を、公式の責任ある方針の中で繰り返し宣言をしております。(拍手) この立場から私は、国民の世論が切実な関心を持っている三つの問題について総理の答弁を求めるものであります。