2015-02-06 第189回国会 参議院 決算委員会 第2号
質問の機会をいただいた先輩、同志に感謝を申し上げ、質問に入らせていただきます。 まず一つは、初めにお伺いしたいことは安倍政権への評価ということであります。 さきの総選挙、もちろんこれは消費増税の先送りとかあるいはアベノミクスの是非というのが政策的な焦点というふうに言われておりました。
質問の機会をいただいた先輩、同志に感謝を申し上げ、質問に入らせていただきます。 まず一つは、初めにお伺いしたいことは安倍政権への評価ということであります。 さきの総選挙、もちろんこれは消費増税の先送りとかあるいはアベノミクスの是非というのが政策的な焦点というふうに言われておりました。
別にきついことはございませんので、私も、下村大臣は本当に尊敬する先輩、同志でありまして、昨年もお話しさせていただきましたけれども、安倍内閣で入閣されて本当によかったと、今でも本当に思っております。 この採択の改革、この無償措置法の改正も私個人としては非常に大賛成でありまして、ぜひ推進をしていただきたいと思っておりますし、竹富町の問題もぜひ改善をしなくちゃいけないと本当に思っております。
やはり大臣は本当に尊敬する先輩、同志でありますので、ぜひ、この大事な戦後の教育行政を抜本的に変える改革、そこで骨抜きになってしまってはもう死んでも死に切れないという思いがどうしてもあって、御発言、御答弁いただける範囲は限られると思います、まだ出てもいませんので。ただ、ぜひ、現行制度の問題点を解決できるのか、現行制度の問題点は何なのかというところとつなげて議論したいと思っているんです。
その中で、私自身の質疑は、今週、来週、また再来週というようにだんだん延びてきたことが、理事の御指示で変わってきましたので、私が持っていた質疑も多くの部分はほかの与野党の先輩、同志の方々にカバーをされてしまいました。そこで、今日は、重要ポイントが網羅された終盤、それでも私がお伺いしたいことを、概念的になるかもしれませんが、進めていきたいと存じます。
私は、同志二人、先輩、同志を信頼しておりまして、そうした事実があるとは決して考えておりません。 政治改革を我々は進めていかなければなりません。その政治改革は、だれしもが思っているように、選挙制度の改革と同時に国会審議もまた改革をされなければならないわけでございまして、ぜひお互い議員としての矜持を持ちながら、政治改革全体を進めるために努力をいたしたいと思います。
これは先ほど和田先生その他、先輩同志が質問の中で使われたわけですが、「大蔵省保険第一課内変額保険研究会 監修」と書いてありますから、これは大蔵省のものだと思っていいわけですね。
これひとえに先輩、同志の御領導、郷土皆様の御高志御協力の賜に外なりません。 私は戦後、戦災の廃墟の中で痛烈な衝撃を受け、“みんなが仲良く、楽しく、平和に暮せる福祉国家の建設”に情熱を燃し、非力を顧みず政治に志を立てました。県議会の一時期を経て、私が始めて院に議席を与えられましたのは昭和二十七年の十月、折しも桑港条約、日米安保締結の直後とて、政局は動転のさなかにありました。
過去五十年間、いばらのかなたに解放の星を見つめる部落解放同盟の旗、あの荊冠旗に象徴されるように、筆舌に尽くしがたい幾多の差別と偏見と弾圧に抗し、死を賭して風雪にたえながらも運動の途上に倒れられた故松本治一郎先生をはじめ、幾多の諸先輩、同志の方々のなき霊に対しても、また今日、部落解放同盟と手を取り合い、完全解放をみずからの命題と受けとめて解放運動に取り組み、真剣な努力を払われている日共以外の各政党の方々
それにもかかわらず、本日表彰の栄誉に浴することができましたことは、ひとえに、同僚諸君をはじめ、涙が出るほどの、あの苦しみをともにした、風雪をともにした、いまはなき先輩同志の御指導と、庶民各位のあたたかき御支援のたまものと存じ、深く深く感激にたえませんところであります。
その職責の重大さに深く自己を省みておる次第でございますが、幸いにいたしまして、りっぱな正副議長の御指導のもと、また先輩、同志、同僚各位の権威あふるる御教導と、またあたたかい御友情によって、その職責を果たしたいと思う次第でございますので、皆さまにおかれましては、この非力な私に対しまして、今後格段なる御指導と御鞭撻を賜わりますことを深くお願い申し上げ、重ねまして、福永前委員長の功績に深く敬意の誠をささげまして
(拍手) 先生は、本院に議席を得るや、終始民衆政治家の立場を堅持し、先輩、同志とともに、おりから台頭著しかった軍閥に抗して政党政治を守るため精力的な活動を続けられたのでありました。このゆえに、昭和十七年四月の翼賛選挙には、あえて非推薦をもって立候補し、奮戦されたが、ついに落選の苦杯をなめさせられたのでありました。
弁護士となってからの君は、社会法曹団を結成して大衆の利益擁護につとめ、また、社会労働運動に携わっていた先輩同志の弁護に当たり、荘重にして理路整然たる弁論は、しばしば法廷を粛然たらしめ、聞く者に深い感銘を与えたのであります。 昭和二十年十一月、新しい日本の建設に際し、君は深く決するところあって政界に入り、日本社会党の結成に参画、その準備委員となり、次いで中央執行委員に選任されました。
(拍手) 三鍋君とは同郷であるとはいえ、政治上の立場を異にしていた私が、数多くの先輩、同志の間から選ばれ、今この議場において君に対する追悼の辞を述べますことは、まことに感慨無量、痛惜の念にたえぬものがあります。
それは今起こったことじゃないのでありまして、例の青函連絡のあの状態、あの台風でわれわれの先輩、同志が死んだときにも、私は、その調査のために行って現地を視察しながらつくづく考えたことは、ああいう事態に立ち至って、直ちに台風だとかそういう雪害とかに対処する、緊急事態に対する対策本部というものがちっとも設けられていない。このたびだって、ああいうような暮れから正月にかけて一時間に一尺も二尺も雪が積もる。
まことに短才微力な者でございまして、この重責にこたえ得るやいなや非常に心配しておるのでございますが、しかし、本委員会にはベテランの方が非常にそろっておられまするし、また先輩、同志多数おられまするので、皆様方の御指導と御鞭撻によりまして、何とか大過なく過ごしたいと思っておる次第でございます。
ここで先輩同志と一高社思想研究会を組織されたのでございますが、これがその全生涯を社会主義運動にささげる契機となつたのございます。東大経済学部に進学後は、新人会の会長となり、学生自治権の獲得に努力されましたが、たまたま関東大震災にあい、末弘博士を中心に学生救護団をつくり、後の帝大セツツルメントの基盤をつくり上げたのでございました。
私は実は本日はわれわれの同志と相談をいたしまして、この問題の取扱いについては特に慎重を期するように、さらにまたこの問題の取扱いは結論に入らぬようにという先輩同志の御注意を受けて参りましたので、その心づもりでこの質問をしようとするのでありますが、あまり答弁がかえつて世上疑惑心を持つようなことになれば、好ましくないことまでもここで一応批判を受けなければならぬと思うのであります。
○齋木委員 何だか声が小さくてはつきり聞き取れないのですが、先般の委員会におきまして、先輩同志各位が通産大臣に質問した要項といたしまして、今年の十月、十一月ごろには八百万トンないし一千万トンの蓄炭ができて、今度の九州等の水災害等におきまして相当の何もあるでありましようが、これらから来る蓄炭の状況から見まして、私ども見るところにおきますると、これをいかにして政府が解決をするとか、廃坑とか、または合理化
私どもは、これらの反動的な諸法律が、その法律的合法性を與え、われわれの先輩同志がこれらの犠牲になりまして、あるいは留置場の中で、あるいは刑務所の中で、幾人が歯を食いしめながら死んでいつたでありましよう。私は現に、この目で見ておる。昭和十二年から昭和十六年まで、時の反動政権のために、われわれは遂に刑務所にぶちこまれた。