2017-04-10 第193回国会 参議院 決算委員会 第4号
これは、先覚者が温暖な高知、土佐の場でナスを定着させて、それをもう広げて、そして生産者を集めた生産部会をつくってこれだけの大産地をつくり上げてきたということであります。
これは、先覚者が温暖な高知、土佐の場でナスを定着させて、それをもう広げて、そして生産者を集めた生産部会をつくってこれだけの大産地をつくり上げてきたということであります。
これはどういうわけか余り報道が出ていなかったんですが、私もその一週間後に訪問させてもらい、ちょうどダルマパーラ生誕百五十周年、このお坊さんは大変すごいお坊さんで、一八六四年から一九三三年までいた、非常に、仏教の先覚者あるいは建国の父ということで国民から大変慕われ、信頼されている方ですが、その中で、私の仲間でウパテッサというお坊さんがいるんですが、このお坊さんのまた招きで行くことになったんですが。
こうなってくると、私もさっきビジネスモデルというふうに言いましたけれども、例えば、今回、GP出資というのがありますけれども、ただ、ああいうものというのは、ある程度お金を出した側が事業そのものにもかかわっていくというような、銀行もさすがに、いろいろなことを築いている先覚者たちは、例えば農業だとか医療であるとか環境とか、そういう極めて専門知識が要るような分野にどんどん自分たちが入り込んで、一緒になって、
日本の会計制度というのは、明治十二年から十八年までは、明治の先覚者の福沢諭吉の提唱で、一種の複式簿記だったんです。 ところが、明治二十年になって、岩倉具視の視察団がヨーロッパに行きまして、まあフランスとかいろいろな国に行ったんでしょうけれども、最後にドイツに行った。
それは、今通常国会の施政方針演説で福田総理は、私の地元、秋田の農業の先覚者であります石川理紀之助の言葉を次のように引用いたしました。 井戸を掘るなら水がわくまで掘れ。明治時代の農村の指導者、石川理紀之助は、疲弊にあえぐ東北の農村復興にその生涯をささげた人物であります。彼は、どんなときも決してあきらめることなく、結果を出すまで努力することの大切さを教えました。
○柳澤国務大臣 格差ということは、非常に先覚者はともかくとして、私どもは割と最近に至ってこの現象についての論議に触れるというようなことが実態であったと思います。
他方、郵政事業は、明治の初頭、先覚者前島密が、当時この分野で既得権を持っていた飛脚の人々を説得し、あるいは庄屋、名主や本陣など当時の地方名望家の善意に頼んで、粒々辛苦のうちに構築し、今なお国家財政と国民生活に深く根をおろした公共のシステムの一つであります。今回の法案による改革は、このような郵政事業百三十年の歴史を転換しようとするものであり、まさに画期的な改革ということになります。
社会保障制度はイギリスから学んだわけでありますが、その中で、老人ホームの先覚者がイギリス大使館から老人クラブのテキストを入手した。なぜかといいますと、養老院の施設長が、自身で、養老院の中で、これでいいのであろうかという疑問から、イギリスではどうなっているか、そういうことから始まったわけであります。
そこで、国土交通省にお尋ねいたしますが、国土交通省は発注者の中でも先覚者としての立場にあり、各省庁にまたがってこの分野での中心的な役割を担っておられます。公共工事の品質確保に向けてさまざまな施策が取り組まれておりますけれども、現在の取り組み状況について、時間がございませんので端的にお答え願えれば幸いかと存じます。 〔委員長退席、望月委員長代理着席〕
○山崎力君 先ほども冒頭申し上げたんですけれども、おっしゃることはよく分かるんですけれども、それじゃ、みんなで貧乏しようよということで我々選挙戦えるかという基本的な問題がございまして、こういう、これが一人の独裁者、先覚者であればできると思うんですが、そこのところを先生にもお考え願いたいのは、先ほど来ちょっと話出ましたけれども、年間三万五千人死んでいると、自ら死んでいると。
ただ、それにしても、ソ連が解体して、した後もヨーロッパ諸国の間でお互いに戦争をするなぞということはもはや考えられないという状態になっているということを考えればこれはすばらしいことでありますし、それから、通常よくヨーロッパ共同体作成というのは経済面での話が多うございまして、今でもユーロというような共通通貨ということもありますが、そもそも第二次世界大戦後、ヨーロッパに共同体を作ろうというふうに考えた先覚者
一つは、私は教師像のときにもちょっと申し上げたのでありますが、私のふるさと萩には、明治維新の先覚者、吉田松陰先生がおられる。
第一号条約というのは、どういう経過で歴史的に採択されるに至ったかという点を考えてみますと、この条約が採択されるに先立つこと百年、ロバート・オーエンを代表とする当時の先覚者たちが提案し、また世界の労働者階級の長い闘いがあって、そういう産物として一九一九年に至って採択されたという歴史的経過から見ても、また第一次世界大戦におけるベルサイユ平和条約の一部分として採択された取り決めに沿ってILOが創設され、こういう
そういうところは社会機能としては十分に変える必要があると思っておりますけれども、やはりこれは社会全般に、最初に申しましたように、失礼ながら、井戸の水を飲む人間はその井戸を掘った人がだれかを思い起こせという中国のことわざを引いて申し上げましたけれども、とかく先覚者を尊重しない。
おれは先覚者である。先覚者として一生懸命やる、この努力を見ろ。その中で我々は生きていこうじゃないかということを堂々と宣言しているのですね。その中で我々の安全と生命をこれから保持していくのである、そういう立派な国をだれが攻めてくるんだという気概がありますね、これを見ていると。これで第九条の論理と倫理は完結しているんですよ。この平和主義の論理は完結しています。
結局、当時の公家社会などを含めた京都の古い体質の中に政府があったのでは近代国家としての改革ができないというふうに明治の先覚者たちは考えて、そうして最終的に東京に首都を持ってきたということが解説されておりますけれども、私は、政治や行政、その他もろもろのシステムをドラスチックに改革するに当たりましては、首都機能、国会等を移転するということは最も有力な手段、方法ではないかと思います。
そして同時に、化石燃料というものの将来性を考えるとき、原子力というものに依存せざるを得ない時期が必ず来るという、これは私は当時の先覚者たちの達見であったと思いますが、原子力発電というものにその相当部分をゆだねる供給体制が生まれてまいりました。 しかしながら、エネルギー資源において小国であるという状況については今も日本は変わりはございません。
福沢先生はそのほかにもたくさん名言を残しておられますし、まさに時代の先覚者でありましたが、それを強制しようとはしておられないと思います。
三井の先覚者には中止川彦次郎という人もおりました。藤山雷太という立派な人もおられました。財政家としては高橋是清という偉い人もおったんですよ。日本の先人には偉大な人がおりました。そのために昭和の金融恐慌も乗り切ったんです。 今、本当に大変な金融恐慌、そして金融システムの安定化が問われているわけです。田中参考人が先ほど言われました。
○前田分科員 この同和問題、いわれなき差別の問題、我が奈良県におきましても、例えば水平社運動等で先覚者であった西光万吉さんや米田富先生、この差別解消そして人権問題について取り組んでこられた主導的な方々がおられるわけでございます。