1977-02-25 第80回国会 衆議院 文教委員会 第2号
これはもう教えておられる高等学校の先生程度で、果たして外国旅行をしてペラペラこれが通じるだろうかというふうな、そういう実践的な、実用的な面から検討してみますと、大変不如意な状態であると言わなければなりません。ですから中には論者は、これはもう英語教育なんかはやめてしまえ、そうして好きな人だけがやればいいんだ、こういう意見が真剣に行われているということも、これも事実でございます。
これはもう教えておられる高等学校の先生程度で、果たして外国旅行をしてペラペラこれが通じるだろうかというふうな、そういう実践的な、実用的な面から検討してみますと、大変不如意な状態であると言わなければなりません。ですから中には論者は、これはもう英語教育なんかはやめてしまえ、そうして好きな人だけがやればいいんだ、こういう意見が真剣に行われているということも、これも事実でございます。
それで結局私が申しますのは、補足して申しまするならば、学生に教えるのに直接に必要でない程度の深いところまでの研究をなさる大学の研究室があるので、そちらの方に余り力を注ぎ過ぎて、結局学生が迷惑をこうむりやしないか、たとえば小学校の生徒に教えるには大学の大学者よりもむしろ小学校の校長先生程度の人の方がいいのかもしれません。
もちろん研究資材とか研究施設とか、そういうものが非常に不完全な中で苦しんでおるときに、八十万円も出すような講師を雇つて来るという矛盾があり、しかもその外国講師が、日本でいえば中学校の先生程度の者が大学に配属されておるという困つた状態が起きておる。これは事実上われわれはいろいろな報告を受けておるわけです。