1956-02-29 第24回国会 衆議院 内閣委員会 第15号
これがまた半年たった現在においては向うから来れば出て行くことはできるのだ、こういうことをやっておれば、また一歩進めて来年は、あるいは来年を待たずしてあと二、三ヵ月すれば、先制防禦ということも言い出すかもしれない。一歩々々進んだ解釈をやっておるじゃありませんか。どういう情勢の変化に基いてそういうふうに考えを変えられるかしれないけれども、国民としてはまことに安心ならぬと私は思う。
これがまた半年たった現在においては向うから来れば出て行くことはできるのだ、こういうことをやっておれば、また一歩進めて来年は、あるいは来年を待たずしてあと二、三ヵ月すれば、先制防禦ということも言い出すかもしれない。一歩々々進んだ解釈をやっておるじゃありませんか。どういう情勢の変化に基いてそういうふうに考えを変えられるかしれないけれども、国民としてはまことに安心ならぬと私は思う。
政府の御答弁には、例えば先制防禦とか、攻勢防禦とかいう考えになれば、自衛ということの窮屈な厳重な解釈から逸脱して行くと思うのです。
ることのないやうにすることを決意し、」こういう言葉もありますし更に日本国憲法が発布されましたときに賜わりました勅語の中におきましても、やはり「日本国民は、みずから進んで戦争を放棄し、」こういう言葉があるわけでありまして、憲法が制定されましてからすでに数年の年月を経過いたしました現在においては、最初のように憲法の論議はいたされませんからして、自衛軍等の問題は当然である、極端を言えば海外に派兵さしても、敵の陣地に先制防禦
それは憲法はそうであるし、又日本は完全に国連主義で、過去のような攻撃を受けざるのにいわゆる先制防禦というような自衛権の行使は絶対しない。そういう法的な約束をしておるのだ。この点を強調するほうがまあ外交上も有利ではないか。国民もそれによつていわゆるその法的解釈の下に逐次そういう円満な常識が完全に価値を占めて行くというようなことが民主主義の下にできるのじやないか。