2010-05-19 第174回国会 衆議院 外務委員会 第15号
例えば、自分のところの敷地とか、日本は国土が狭いし、住宅地でもあるいは私有地でも、もう大変、紛争になるくらい、兄弟げんかでも、肉親でも争いをするくらいの、そういう自分のところの私有地に関しては大変、これは自分の個人の問題で絡むんですから。しかし、領土という意識が非常に日本人は希薄である。この辺のところが、僕は領土問題の原点になるんじゃないかなというふうに思っておるんです。
例えば、自分のところの敷地とか、日本は国土が狭いし、住宅地でもあるいは私有地でも、もう大変、紛争になるくらい、兄弟げんかでも、肉親でも争いをするくらいの、そういう自分のところの私有地に関しては大変、これは自分の個人の問題で絡むんですから。しかし、領土という意識が非常に日本人は希薄である。この辺のところが、僕は領土問題の原点になるんじゃないかなというふうに思っておるんです。
長男からすると、次男、三男、てめえら何やっているんだという、こういう話でもめているような感じがしないでもない今のこの健康保険の状況であって、これ以上兄弟げんかをあんまりエスカレートすべきではないんじゃないかなと、こんなふうに、まあ例えは悪いんですが、思うんですよ。
閣僚の中にも、うちにも同じ名前の者がおるから困るんだけどね、また兄弟げんかさせたくないんだけどね。次の選挙を有利にするために予算はどうでもよいという発想だ、こう言っておるんですよ、昨日から今日にかけて。腹立つよ。おれも向こうにおったら言うかも分からぬけれども、ここまでは言わぬよ。憲法も分かっているし、国会法も分かっておる。
幼いころ兄弟げんかをして、兄から、母さんがおまえを産まなかったらこんな病気にならなかっただろうと言われたと話し、最後に、母が病気になってまで産んでくれたこの僕自身を大切にすることだと思うと述べ、一礼して壇を降りました。 子供の声を聞きながら、涙を抑えることができませんでした。頭に浮かんだのは、産院で出産したときの光景です。その日からの十四年間が頭の中に押し寄せてきました。
兄弟げんかの責任は兄貴にあると言うんですよね。やはり力のある方、強い方。自民党の国対の大先輩から個人的に党派を超えて御教授をいただきました。国会なんというのは野党に花を持たせる場だと。七割野党の言うことを聞いて、野党は骨まで食えないんですから、皮ぐらい、肉ぐらい、野党に食わせてという器量というか度量が昔はあったんじゃないですかね。
したがって、昔は兄弟げんかをやったり地域の友達とけんかをやったりしてたくましかったわけですけれども、現在はそういう面で欠けているということですね。 したがって、学校と地域と、そういう人たちが手を携えて、そしてそういう、昔に比べると今の子供たちはひ弱になっているというようなことを十分認識して、それを地域の協力を得て鍛えていく、これが一つですね。地域の教育ですね。
自分の実際の経験で恐縮なんですけれども、ニューヨークというのは日本でいうとちょうど青森辺りのとても寒いところで、兄弟げんかばっかり冬の時期とかするものですから水泳教室に行かせましたんですね。
兄弟げんかしていますと、何だお兄ちゃん、妹を何でいじめるんだ、男は女性を守って、女性なんかいじめるもんじゃない、女の子をむしろかわいがっていたわるものだ、こういうふうに私は家庭で教育を受けました。 私は、男女共同参画社会というのは、もともと、その性差というものは是認しながら、お互いの特性をよく知って協力していくのがそういう社会だというふうに思うんですね。
子供の数が減るということは、子供が兄弟げんかして育つということが少なくなってしまう。親がどうしても過剰管理、過剰保護になってしまう。ひ弱な子供を作ってしまう。こういう成熟した社会においてそうなりがちな中で、どうやったら子供を元気に育つような状況を作るのか。
私たち、兄弟げんかもしましたし、戦時中でございますので、食べ物なども、ようかんなどもそんなに食べたことはございませんが、親からお土産でいただくと、物差しではかりながら兄弟で分けたりしたようなこともございました。それから、けんかするときにはぶつかり合ってやりましたので、そういうスキンシップ、痛みということも覚えることができたのかなと思っております。
だから、兄弟げんかをするというような、我々にとっては非常に恵まれたチャンスだと私は思うのでありますが、そういうチャンスがない。隣近所、団地の子供も学校で一生懸命勉強を、したかどうかでありますが、それからすぐ塾へ通っちゃう。塾から帰ると、自分の部屋がある、その部屋でテレビゲームに没頭をするというのが最近の子供さんの姿だと、こう私は聞いているところであります。
それから、最近は言うまでもなくIT、インターネットの時代になりまして、一人っ子である上に、先ほど先生御指摘のように、兄弟げんかあるいはまたお友達同士のいさかいがあって、お互いその中での限界というのを心得てみずから律していくということを体で覚えていくということがなくなってございまして、このインターネット社会というのも非常に問題があるんです。
地方の方は、まだおじいさん、おばあさんと一緒に生活していたり、あるいは子供も兄弟も多いということもありますけれども、核家族化になりますと、兄弟げんかのやり方もわからなくなってくる。兄弟で取っ組み合いのけんかをしていても、本当にぎりぎりのところはかげんをするのが兄弟げんかなのではないかと私は思っております。
やたらに土地にこだわって今度は相続のときに兄弟げんかが始まるなんという、親族同士の争いが始まるというようなことから離れていくような、心温まる、やっぱり人間が主と書くと住まいになって、それから家と庭と書いて家庭ですから、庭つきのところへちょっとでも住んでみたいな、二年でも三年でも住んでみたいなというところへ簡単に考え方を変えて流通していく、そんなことが住宅政策の心の部分になったらいいなと、私はこんな気持
ですから、兄弟というのが兄弟げんかをすると他人がやるよりももっと激しくするんだというようなことをよくインド人なんかは言うわけですけれども、そういった傾向が多分にあると思うんです。 ですから、例えば前首相のグジュラール首相というのはパキスタン側から渡ったパンジャーブ人なんですが、現在のナワズ・シャリフ首相と同じ大学の同窓生同士なんです、年は親子ほどに離れていますけれども。
兄弟げんかとか夫婦げんかというのは、私は何度も、自分もやっていますし経験したことがあるのですが、親子げんかというのは余り聞いたことがないのですね、これは。親子がけんかを対等な立場でできるのですかね。これも、私ちょっとよくわからないのです。親子げんかという言葉を非常にぱっとお使いになりましたけれども、よくわからない。
そういう意味で親子げんかという形で言ったわけですので、もちろん夫婦げんかなんかもあれですが、兄弟げんかというのも、今、子供がいないので、兄弟げんかもする機会がない。兄弟げんかしたときに、何回かやっているうちに、どこまで殴れば相手の痛みがどの程度かということがわかることも大事なことですので、そういう意味で、私の親子げんかはそういう意味だったのです、言葉が足りませんでしたけれども。
それで、家庭争議は起きる、夫婦別れはする、兄弟げんかはする、親をあちこち回す。もうできれば早いことどこか施設に入れたい。 ですから、どうなるかというと、進行しているといって病院へ入れる、とまったといって老健施設へ入れる、老健施設から出したらちょっとうちに入れる、うちに入れたら、ちょっとやったらすぐまた病院へ入れる。
そして、その場で兄弟げんかが始まったりする。そういうことを今是認しているような制度がやはり悪いと思うのですよ。 ですから、お年寄りに年金があることは、それは非常にいい。それから、必要な経費はきちっと見てあげてもいい。それから、小遣いとかはある程度までいい。
一つは、出生率が低下し、学齢以前に兄弟でもつれ合いながら楽しむといった、あるいは兄弟げんかをするといった経験がなく、いきなり集団生活に入る。そして、初めてできた友人関係に悩んだり、なかなかうまく溶け込めなかったり、あるいは先生との間に関係を築き損なってしまう。いろんなケースが私はあると思うんです。
一人っ子というような形で、どうしても兄弟げんかというものもなくなってございますし、学校へ行っても、確かに今の学校教育は高度になったことは事実でございますけれども、高度になった反面、昔は補導という言葉を使われても大変だった時代でございましたけれども、今は堂々と中学生の逮捕という言葉がどんどん出てくるようになってしまった。
昔はおじいちゃん、おばあちゃんが大変いいことを教えてくれましたし、また兄弟が大勢いて兄弟げんかを通じて社会性というようなものも身につけることができた。それから、父親が大変夜遅く帰ってきて子供と接触する時間がない、母親も男女共同社会ということでパートタイム等に出て子供に接する時間も少ない、こういう状況であります。
そこで兄弟げんかが始まっちゃう。一方で、お骨はと言ったら、いや私のところは団地だからそんなものをもらって帰っても困ると。こういうふうな者に、一方で税金でずっと今日まで面倒を見てきた人間が渡さなきゃならないのかという、こういうふうな議論も早くやってもらわないと、矛盾というものがだんだん広がっていくとこれは取り返しのつかないことになる。