2002-04-16 第154回国会 参議院 外交防衛委員会 第8号
中国の儒教精神から見て、これは一体どう理解すればいいんだろう。よく孔孟の教え、孔子さん、孟子さんの教えに従いましてと、孔孟の教え、こういう伝統的な道義観念からこんなことが許されるんだろうか。何よりもかによりも金をやっている人の責任だってあるでしょう。
中国の儒教精神から見て、これは一体どう理解すればいいんだろう。よく孔孟の教え、孔子さん、孟子さんの教えに従いましてと、孔孟の教え、こういう伝統的な道義観念からこんなことが許されるんだろうか。何よりもかによりも金をやっている人の責任だってあるでしょう。
そうなりますと、両親は、とりわけ、西野委員からお話がありましたように、儒教精神があり、祖国を愛する、祖先を愛する、そういうふうな豊かな温かい心を持つ人であるならば、当然のことながら祖国を国籍とするでありましょう。しかし、長い間ずっと日本で生活をするということになれば、だんだんその意識が希薄になり、そして国籍云々の問題について議論する必要がなくなるだろう、私はそう思うわけです。
あの国は大変儒教精神、礼儀作法のやかましい国ですから、人から物をもらっておいて知らぬふりということはないはずですから。一番偉いのはだれか知りませんけれども、その人の名前で、日本人民の方々、大変ありがとうございましたというお礼の一言ぐらいあってしかるべきだろうと思うんですけれども、そういうこともどうも耳にしておりません。
だから、そういう宗教心からいけば、お墓もそういう我が国の民族の儒教精神、仏教心でこうなっているわけだから、親子の関係も日本民族のそういうもので成り立っているんじゃないか。だから尊属罪だけは切り離しちゃいますなんという話はだめだよと、そういう意味で私は申し上げているので、お墓と親子の尊属罪とは違うのは当たり前の話だ。そんなことは最初から私の方だってわかっている。
これはやはり霊魂に対する、人の霊に対するお互いが尊敬し合うという儒教精神や宗教心に基づいているんでしょう。だったら、そこらの建物と同じように、たかだか石なんだから、仮にけ飛ばしちゃった、ひっくり返しちゃった、そうすると器物損壊罪でやればいいのに、そうじゃなくてこれでやるんでしょう、「礼拝所及ヒ噴菓二関スル罪」という罪で処罰をするわけでしょう。おかしいじゃないですか。
それは価値観を同じゅうする国だといってアメリカやということを総理は言いよりますが、しかし本当に価値観を同じくするのは、文字は同じように使った日本でもあるし儒教精神というのは日本にも伝わっているんだし、価値観それ自体は日本と中国あるいは東南アジアとが文化的にも近いんじゃないかと私は思っておるけれども、まあこんな総理大臣おらぬところで、言うたってしょうがない。
もちろん「細雪」だとかあるいは「喜びも悲しみも幾歳月」、ああいうふうな物語は非常に清純なきれいな物語でございますから、韓国の儒教精神をたっとんでおられる国柄としては歓迎されておる。
そういうことばを変えなければ、これはただのいわゆる儒教精神に基づいたような感じになって、何となくぴんとこないような感じになりますね。
いわゆる男女七才にして席を同じゅうせずというような、そういう儒教精神を今さら取り上げて私は申し上げとうございません。むしろ性は解放すべしというのが、ほんとう言うと私の議論なんです。ちょっとももの端を見せるから感じが出る。ぐっとまくってしまえば、むしろ感じは出なくなる。そこまでいくのならいい。ところが、妙な法律がここに出てきて、いかぬという。