2021-05-20 第204回国会 参議院 経済産業委員会 第5号
私の地元愛媛県に内子町という町がありまして、ここはノーベル賞作家の大江健三郎さんのふるさとなんですね。大江さんが作品の中で四国の谷間の小さな村と呼んでいるところなんですけれども、ここでバイオマス発電が行われています。
私の地元愛媛県に内子町という町がありまして、ここはノーベル賞作家の大江健三郎さんのふるさとなんですね。大江さんが作品の中で四国の谷間の小さな村と呼んでいるところなんですけれども、ここでバイオマス発電が行われています。
そして、昭和五十八年暮れの総選挙で、原健三郎先生、土井たか子先生ほかそうそうたる政治家が居並ぶ中選挙区兵庫二区から果敢に立候補されました。初戦は苦杯。三年後の昭和六十一年の総選挙で見事四十五歳での初当選を果たされたのであります。
何も、澤地久枝さんや大江健三郎さんは入れた方がいいんじゃないかと言っているんじゃないんです。 ただ、法律の専門家だったら、学者、中央官庁OB、外務二、防衛二と五ページに書いてありますが、なぜ、法制局長官のOB二名と入れたりしないんですかね。そのぐらいは当然あってしかるべきだと私は思うんです。そういう配慮が足りないということを私は申し上げているんです。
そのときは中選挙区兵庫二区であり、原健三郎先生を始め、永田亮一、土井たか子、岡本富夫、堀昌雄先生と、そうそうたる政治家であり極めて強豪。もちろん初戦は敗退を余儀なくされました。後に原健三郎先生は在職五十年の表彰を受けておられます。私はまだ半分であります。 そして、次なる選挙は、昭和六十一年七月六日、衆参同日選挙となり、十一万一千十三票をいただき、初当選を果たさせていただいたのであります。
その話を大江健三郎君が「死者の奢り」というおもしろい小説に書いていますけれども。それしか使ったことがないんですよ。 今、せいぜい何機かの輸送機とヘリコプターがやっているだけで、ほとんど使われていない。その一つの証拠に、こちらのメーンオフィスから、向こう側に管制塔がある、普通、行ったり来たりするでしょう。
次に大瀬地区でございますけれども、大瀬地区はノーベル文学賞受賞作家の大江健三郎さんのふるさとでもございます。地域の歴史的な財産でありますかつての村役場をお宿として復元させ住宅改修に取り組むなど、住民主導の活動に取り組んでいる地域であります。 平成九年に農産物直売所を整備しまして、運営母体を第三セクターで株式会社内子フレッシュパークを立ち上げました。
これには、日本側では大江健三郎さん、韓国側では元駐日大使の羅鍾一さんなど二百名を超える知識人の方が署名をされております。
大江健三郎は、「あいまいな日本の私」として、西洋と東洋の相克に悩みながら、東洋にも西洋にも軸足を置いて、国全体としては大きく発展している姿を世界に示しました。ことし、もしだれかがノーベル文学賞を受賞したら、今の日本を何と表現するでしょうか。迷走する日本の私でしょうか。ルーピーな首相を抱く日本の私でしょうか。期待だけさせて実行力のない政府を抱く日本の私でしょうか。
大江健三郎氏に、防大生は日本の若い世代の恥辱だと言われたころであります。そのときに初代校長、槇校長は、もののふの道として服従の誇りを説きました。校長は軍人ではなく民間人から選ぶという時の吉田茂首相の方針で任命された校長でした。 その吉田首相は卒業式で、諸君は自衛隊在職中、決して国民から感謝されることも歓迎されることもなく自衛隊を去ることになるかもしれない。
この平成二十年の五月号の「鵬友」の中には、高校等における日本史教育の危険性について述べられ、バランスを欠いていると言われ、沖縄戦の強制集団自決、そして大江健三郎さんの岩波裁判の結果等について批判をなさっております。これは、一般に今政府の、文科省の見解で、検定教科書で考えられる見解というものと少し違うのではないかと思います。 また、織田邦男空将、「私の教育論」。
「強制集団自殺問題記述に関する教科書検定の混乱、2大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判の訴訟判決、」を挙げ、「それぞれの結果にはやるせない思いである。」と。この時点では地裁判決ですが、でも、旧日本軍の戦隊長の、私は自決はやめろと言ったというこの発言は、この間の大阪高裁の発言で、それは違うとはっきり判決の中で言われていますからね。
それで、実は先ごろ、大江健三郎氏の著書に関する裁判、高裁で結果が出まして、そして訴えを棄却するという結論が第二審で出ております。 去年、教科書問題の検定に関しまして、私は秋に教科書検定問題について幾つかの質問をさせていただきました。渡海前文部大臣、私が指摘しました幾つかの問題に対しても、きちんと今後ちゃんと検討して善処していく、対処していくということをお約束いただきました。
そして、この動き、もう一つは、大阪地裁や高裁で大江健三郎とか岩波を被告にして、慶良間で現地隊長としてやった赤松隊長の弟、あるいは梅澤さんは現在健在でいらっしゃいますが、この人々が原告になって、そういう集団自決は命じなかったとか、あるいは大江健三郎のあの「沖縄ノート」は出版をやめろと、こういう趣旨の訴えでございますが、私は、この大阪高裁の判決は明確に軍の関与、集団自決に手りゅう弾が配られたという、そういう
検定意見を変えたということの理由の一つとして、旧日本軍の戦隊長らが、大江健三郎氏それから岩波書店に対して起こした訴訟があった、これも一つの要因としてあるということが、当時私はそういうふうに受けとめたんですが、明らかになったと思っていますが、改めて、その辺、確認をしておきたいと思います。
悲惨な沖縄戦のさなか、座間味、渡嘉敷、両島で起きた集団自決をめぐり、両島に駐留していた日本軍の戦隊長が住民に自決を命じたとの本の記述は誤りだとして、座間味島の元戦隊長梅沢裕氏らが作家大江健三郎氏や岩波書店に出版差しとめ等を求めていた裁判の判決であります。
皆さんよく御承知だと思いますが、今、ノーベル賞作家の大江健三郎氏が裁判に訴えられていますね、つまり戦時中に軍命があったかなかったかということをめぐってですけれども。私などはこの問題について非常に重要なことだと考えております。 防衛省、若しくは施設庁でも結構ですが、旧日本軍とかあるいは現在の自衛隊が、兵器ですね、兵器をどういうふうに保管しておりますか。
裁判が行われていて、原告側が、先ほども出ていたように、冤罪だと言って、大江健三郎氏やあるいは岩波を訴えているという裁判があるからということだけじゃないですか。新たな書籍もなければ学説もない。しかも、その裁判も、まだ何にも行われていないんですよ。
例えば大江健三郎さんなど各界の九名の方が呼びかけた九条の会というのが、全国で六千を超えて今広がっている。実は、これは、昨年夏、私たちもヨーロッパに調査に行ったときに、ポーランドで中山委員長御自身が紹介をしていただくということで、大変注目も浴びて話題も呼んだわけですけれども。
その中で、中山団長が、憲法九条に関しては国民的な関心も高く、例えばノーベル文学賞を受賞した大江健三郎という作家などは九条の会という全国的ネットワークをつくって運動していると、私が紹介しようとする前におっしゃってくださいました。
懐かしいなということ以上に、教育という視点から見ても、私、先ほども、繰り返しませんが、教育の水準やそのときの社会状況や物の考え方、価値観というものが変遷していくという貴重な財産であると同時に、例えばある人が、川端康成さんはお亡くなりになりましたから個人情報の保護の対象でないんでしょうが、これもおかしいですね、亡くなった者はいいけれども生きている者はだめだというのも私は変だと思うんですが、例えば大江健三郎