1991-02-22 第120回国会 衆議院 環境委員会 第3号
だから、それをはっきりするということが一番値打ちなんだ。どうですか、それは、何遍言ってもあかんのか。
だから、それをはっきりするということが一番値打ちなんだ。どうですか、それは、何遍言ってもあかんのか。
「お母さん国債どんなん持ってるの、と言い出し、国債より金の方が値打があるのよ、と言い、私が年金生活ですので、これからは年金もパンク、銀行利息も四分になる、老後どうして食べてゆくの」こういうふうなことを言いながら、新聞記事に朱線を引いたようなものを示しましてしつこく説得していく、こういうふうなことでございます。
あるいはまた更地にいたしましてもめくら地でございますから、道路まで取りつけ道路をつけなければいけないというようなことを考えますと、この土地の値打ちがららぽーと以外の第三者にとってそんなに高いものになるとは思えないわけでございまして、やはりららぽーとでそういう気持ちがあれば、国としても、ららぽーとに処分するのがこの土地の値打を一番うまく引き出せる道ではないかと考えます。
この推論でいくと、五月二十三日、大蔵大臣も御出席のもとで、大蔵委員会で政府側委員から明らかにされたことは、四十三年が四・五%物価が上がるとすれば、名目八十四万になっても八十万円の値打らしかない。四十四年が免税点九十四万円になっても、これは八十六万円の値打ちしかない。四十五年に百万円免税が実行されても、それは八十九万円の値打ちしかない。こういうことが政府側委員から説明をされた、大蔵大臣の目の前で。
○二宮文造君 先ほど御答弁いただいたことからだんだんだんだん何か答弁が変わってくるように私思うのですが、とにかく機械とか、設備とかいうものは、その場所にあって、またその用途に使用して初めてそれだけの値打が出てくるわけです。普通金融機関が金を貸し出す場合には、設備に対して一ぱいの見積もりはしないはずです。これはもう釈迦に説法で、私が言うまでもないことなんです。
家を建てろ、建てて相当な値打があるようになったら、足りなければ金を出してやって交換しよう。取りかえてからあなたのほうで建てられるのは、設計が誤りであったとか請負師の指定が悪かったとか、これはまた別です。交換しないでですよ。交換する条件として、おまえのほうの土地では値打ちがないから、社宅建てたらいいじゃないか、それで値打ちを上げろ、こういうものにしろ、そうしたら取りかえてやる。
だから、そういう問題は早く解決をして、そうして用務員などにいたしましても、運転手にいたしましても、衛視にいたしましても、やはり国会としては非常に大切な仕事ですから、上とか下とかいうことでなしに、それにふさわしい待遇をして生活を保障するということは、庶務部長や事務総長がやらなければ、おっても何の値打らもないですよ。議員におべんちゃらだけではだめですよ。
そこで実在職年の値打——極端に申しますると、実在職年の一年に対する値打で年金額を計算すればよろしい、こういう思想でございます。
不都合な内包している法案でがまんしたのはどういうわけかということは、当然私どもとしても議論したわけでございますが、このような事件というものは、実務の上ではほとんどゼロと申してもいいほどでございまして、しかしながら、それを含めて立案しますのには、実体法の面で相当十数条に及ぶ実体法を作らなければなりませんし、そうなりますと、ほとんど活用されない事項のために応急措置法の中で十数条の条文を作ってまでやるだけの値打
そこに、低金利の金をみんなから借りて、そしてどんどん設備投資をやって、設備投資は、十年たってインフレになっても、それだけの値打があるのですよ。しかし、われわれの受ける金は、依然として今日の金で受け取っている。だから、貨幣価値は五倍にも十倍にもなったって、そうなればわれわれの受ける金は十分の一、五分の一になってしまうということになるのですよ。
○比嘉正子君 実は金の値打というものがだんだんなくなってまいりましたので、五年前の一千万円が今では千円の価値しかないというふうな状態になっているわけなんです。それから、いろいろの物価高によって、仕事をやるんでも、それから近代化をやるんでも、ちょっと多く出せばやれるというような状態がよくあるわけなんです。
○説明員(武藤謙二郎君) ちょっと私担当でございませんので、データを持って参りませんでしたけれども、非常に値打の高いものにつきましては航空機で密輸するということはございます。
でありますから、その方法が書いてあれば、読者が、ああこれは千人の調査だな、ああこれは一万人の調査だなということを判断すると申し上げておるのであって、世論調査はあくまでも厳正に行なわれたものであって、たとえそれが千人であろうと、三千人であろうと、新聞がこれを世論として新聞でまめじに書いている以上は、それはそんなものは値打がないとかあるとか、そういうことを申し上げているのではありません。
ところがまあこれはうわさでございますから、私どもが一々取り上げる値打はございませんけれども、こういうふうな事業団ができ上がります際には、いろいろな問題が出やすい。たとえば民間の資金集めを行なうために非常に便利な人物を選ぶとか、あるいは特殊な利害関係を持つような人が選ばれるというようなことが起こりやすい。これは理事長あるいは理事等の役員に対してしばしば起こって参ります。
今のような集約の態勢でいきますと、今までにおけるところの機能をさらに喪失して、オーナーの値打というか、存在価値、そういうものに対してどういうふうに考えたらいいのだろうか、こう思うのであります。オーナー対策はこの中にはもちろん全然見られてはおりません。この点についてはいかようにお考えでしょうか。
同時にまた、文楽等と同じような趣旨で、日本の古典芸能として温存し、後世に伝えていくべき値打のあるものと、私も御同感の意を表します。
これは資本の側から言うところの一つメリット、あるいはコストが低いのだ、店費が安いのだ、それだけではどうも集約する値打はないように思う。私の話もちょっとわかりにくいかと思うので、それじゃ逆に聞きますが、このオーナーを集約する値打、メリットは何だろうかということです。オーナーも海運企業であります。今度の集約の中心課題は、オペレーターに問題が移っていると思うのであります。
かりに一千円だとしても、今の金に直しますと、大体五十万円の値打があると思うんです。そうしますと、今日の十万円というものはその五分の一にしか当たらぬということです。
仰せのように、ただ漫然と石炭に出しているということではございませんので、それは従来とも同じ貸し出すにいたしましても、その中で今後ビルドアップする値打のあるような山を選びまして、選んで融資をいたしております。そうして、これが大体の感じで申しますと、将来、石油の価格に対抗し得るようなコストで生産し得る、そういうような山を大体目標にいたしまして、そういう山を取り上げて融資をいたしておるのでございます。
財産であることには間違いはない、しかし土地自身というものから実際はそういう値打が出てくるかどうかということについては、私は疑問があるのであります。なぜかといいますと、土地、ことに農村の土地は、土地自身がじっとしておったのでは三文の価値もないのです。やはりその上に農民の労力が加わらなければならない、あるいは肥培管理をしなければならない。