2019-02-27 第198回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第1号
ひ孫に当たる十一代目の小川治兵衛さんの記した「植治の庭」によりますと、自然の摂理、法則を大切にして庭園をつくりました、つくられた庭の中に自然ができ上がり、そこに導入部分をつくったとき、初めて周りの山は呼び込まれて同化していきます、借景といいますけれども、景色は借りるんやないんです、山が自然に向こうから入ってきはるんですと無鄰菴の作庭の考えを述べています。
ひ孫に当たる十一代目の小川治兵衛さんの記した「植治の庭」によりますと、自然の摂理、法則を大切にして庭園をつくりました、つくられた庭の中に自然ができ上がり、そこに導入部分をつくったとき、初めて周りの山は呼び込まれて同化していきます、借景といいますけれども、景色は借りるんやないんです、山が自然に向こうから入ってきはるんですと無鄰菴の作庭の考えを述べています。
都心部のビルの高さ、四十五メーターから三十一メーターに、三十一メーターは十五メーターに規制する、屋上の看板は全面禁止する、建物のデザインを規制する、あるいはお寺や神社の借景を守っていく。市民の大きな自己犠牲もあります。
そして、庭には池があり、生駒山系を借景にしたすばらしい景観になっている。そしてまた、その一角には神社があって、それがそのまま今日の地域の神社としても使われている。 こういう当時の生活なり文化を知る上においての非常に大きな手がかりになる要素、そして、その前が古堤街道という旧街道がそこにつながっているわけであります。銭屋川があり、古堤街道がある。
私は、きょうは景観について発言できませんでしたけれども、例えば、京都の円通寺というお寺がありますが、借景庭園の非常にすばらしいところですね。こういうところは、借景そのものが、景観が公共財なんですね。マンション業者が、土地財産の使用、経済活動の自由だけ主張して、そこにマンションを建ててしまうと、円通寺の景観はさっぱりになるわけですね。
同庭園は面積約十三ヘクタールで、岡山城を借景とし、池、細流、築山などが敷地一面の芝生に配された林泉回遊式の庭園であります。ことしで築庭三百年を迎えるため、「おかやま後楽園三百年祭」として、ことし一年間、四季折々に多彩な行事を開催することになっているとのことであります。 同庭園を視察し、我が国の歴史と伝統に輝くすぐれた文化を身近に感じました。
桜島を借景にしているんですが、そこに電柱があるものですからどうしてもその借景に道路が邪魔になるんですね、電信柱が邪魔になる。あそこも取ってほしいなと思うわけですね。
と、また「指定地域の景観を規制するために、歴史的地域の周辺部と「借景」は厳重に取締まられるべきである。」など五十六項目の極めて重要な指摘がされているわけですけれども、文化庁はこの勧告をどのように受けとめて行政に反映させてこられたでしょうか。
しかし、公共事業を早期に執行すれ借景気対策にたると発想すること自体、旧態依然たるものがあります。むしろ景気対策の観点から申しましても、生活重視の観点から要求した私どもの予算修正要求を大胆に受け入れるべきだったと言わなければなりません。
そうやって守っているわけだけれども、町並みの問題がやはり一番借景に関係してきて、これを歴史的都市としてそのものを残していくということは、残念ながら今までのこれだけではやっていけないことが、この高さ制限の緩和やらこういう問題の中で出てきたわけですから、そういう意味では、国としても何か特別な対処すべきものを考えてみる必要があるのじゃないだろうか。
遠くには、借景としての東山三十六峰寝たる姿があるわけや。それが建物がばっと建ってつぶされていく、これはもう大変なことですよ。 この間、植物園が温室をつくる、四月一日から新しい温室ができるというので私行ってみた。そしたら、その本部のあるところの建物は、これは研究室、学習室みたいな建物がつくられている。その二階から見た借景というのは、ちょうど比叡山の見えている面からも非常にいいところなんですよ。
広く、そしてそれぞれの窓から借景が眺められる、例えば街路樹があり、そして電信柱のかわりにさまざまな花の花壇があり公園がある、歩道もあり町並みも美しい、つまり町全体が自分の庭であり公園であるような、そういう公共スペースの充実が必要だと思いますが、そうした視点に立っての町の計画、いろいろなされているだろうと思いますけれども、これも中央からするのではなくて、それぞれの地方で細かくやっていただきたいことなんでございますけれども
またもう一つ、集落あるいは町並み保存というのは、私は京都の出身ですけれども、京都というのはほとんど借景によってその価値が保たれております。
今度はちょうど運輸省に御厄介になることになったものですから、先般来JRの社長にその話をいたしまして、どうだろう、上野駅の上に六十何階のビルを建てたらまるで鉛筆ビルが建ったみたいに、そこでひとり立ちののっぽビルが建つ、それじゃ身もふたもない話だから西日暮里までどうですか、JRの上に人工地盤をつくって二十五層の高層マンションを建てれば上野公園が一望にして借景になるわけですからと言いましたら、それはもうかりますから
ところが、御存じのごとく、庭園なんというものは、朝あそこに太陽が出るときにこの池にどう映るかということが課題であったりするわけでありますから、借景などと言いますが、そのときにここにビルが建ってしまったのではだめなわけです。
それからもう一つは、よくこれは方々で気がつくのでありますが、借景税という構想が最近はありませんけれども過去あったように聞いているんですね。要するに国なりあるいは自治体が持っておるところの国土あるいは河川あるいは渓谷あるいは海岸等々の風景、これらのものを利用した商売があるわけですね。東京都内でもそうでしょう。
そして、それとともにまた、庭にそれを取り入れて、その後ろには借景に大きな自然林を、あるいは自然の山を、そういうものを取り入れていく、そういうものも自然の一部分というふうに考えておる思想がやはり私はあるのではなかろうかと思うのでございます。
同時に非常に代替性の強いウイスキー、ビールというものが現代的な世相に非常に受け入れられておると、まあこういった時代的な借景もあるかと思いますが、清酒の需要がなぜ落ちるのかということにつきましては、まず業界の努力が欠落しておったと、これが第一番。第二番目は原料米価格の毎年の値上げによって末端価格が大きくなって不利な条件になっておるということ。嗜好の変化、これが第三番目であります。
そうしますと、これは白砂青松と同時に自然の海が見えるということでの国定公園の指定でありまして、借景が全然だめになるわけですね。そういう動きがあるということですが、たとえばそういう場合にはもう環境庁は手が出ないのか。あるいは届けだけでいいという説があるのですが、そうしますと、まさに国定公園に指定している意味がなくなってしまうということになるわけですね。
その場合、やはり国定公園というものを借景を含めて守っていくという立場なら、何をするかを考えるべきだと思うのです。何ができるか、何をすべきか、その点をお伺いしておるわけですから、お答え願いたい。
最近この山は、御承知のとおり修学院離宮から見ますとこれは遠景ですから、借景と言うんですかね、上の山だけが必要な部分になって、すその方は人家が建っていますが、別に離宮の景観を壊すわけじゃない。離宮から見る景観のためにそういう土地が離宮の山として残されているわけです。
さらに、具体的におわかりいただくために、たとえば庭園だけを史跡にして保護するとした場合、室町時代の庭でしたら、遠くの山の風景をも取り入れた、いわゆる借景になっておりますが、ところが遠景になっている、遠い景色になっておるところの山が、開発されましたり、あるいは遠景の山と庭との間にビルが建ったりしますと、この庭の価値は著しく減少します。
さらに、何キロ以内だけでなく、先ほど実例として申し上げましたように、借景のような場合ですと、何百キロまでいきませんが、何十キロ離れたところの山までがその風景を生かすために存在しているわけでございますから、こういうふうないろいろな、文化財のそれぞれの性格によって決められるべき性質じゃないだろうかと思うのです。
しかし、日本の三大公園なんかにしてみても、借景というやつを取り入れているわけなんですね。岡山の公園にしましてもそうであります。いまある公園面積というのは非常に少ないのでありますが、周辺の景色というものを借りて、そしてこれを生かしていくという方法を講じているわけなんであります。かりにあの中へ阪大なら阪大という大きなものが入ってきてやったからといって、全部建物にしてしまうわけにはいかない。