1987-07-29 第109回国会 衆議院 文教委員会 第1号
○塩川国務大臣 今度の臨教審の答申の中でずっと流れております基本的な考え方を申しましたら、教育に対する基本的な理念として個性尊重をしろということが一つ、それから教育体系について言うならば、全生涯学習体系をとりなさいということがございます。
○塩川国務大臣 今度の臨教審の答申の中でずっと流れております基本的な考え方を申しましたら、教育に対する基本的な理念として個性尊重をしろということが一つ、それから教育体系について言うならば、全生涯学習体系をとりなさいということがございます。
ところで、それじゃ教育のやり方で個性尊重にずっと突っ走ってしまっていいのかといいましたら、そこにはやはり義務教育として限界がございまして、やはり一定の社会秩序に適合した、現在社会に合った平均的な人というものに重点を置いて教育せざるを得ない。個性尊重だからということで個性ばかりを重点に置くということはできないと私は思うのです。
そうすると、この日は私にとっては嫌いなおかずの日だというと弁当を持っていくことが自由だという、これが本当の自由の教育だと言われて、私も相当管理者的な感覚で今まで生きてきたのかなという、そんな気持ちを持ったんですけれども、この自由という言葉のたがをどこまで自由として考えて、どこまでを個性として見るかというのは非常に大きな問題で、ここでは結論の出ない問題だと思いますけれども、自由とか個性尊重という言葉は
臨教審が第一次答申でもって個性尊重の原則というものを教育改革の最高の理念にしておる。もしも個性を尊重しるということを本気で考えたら、一学級の子供の数が四十人、四十五人でもって成るわけがない。そういう意味においても、この法案を皆さん御協力の上にぜひ通していただきたいということをお願い申します。
我々の少年期というか、育ってきた義務教育の時代というのはまさに自由の時代であり、先ほど申しましたような個性尊重ということだ。ところが、戦争中は御承知のようにやや画一主義であるし、学問とか文化に専念できない。それから大きく戦後は変わった。 そこで、今日ここで著作権の問題を考えます場合に、著作権というのは全く個人の創造的な権利を保障したものでありまして、学問もまた同じであります。
今変わり行く問題の中で、当然の大前提や心配しなくてもこのとおりこれからもやっていけるんだというようなものを除いて深く議論をすると、今のところ、個性尊重の原則というものを今度の改革の答申の中に大きな柱として出されたことは、それはそれなりに評価できると私が受けとめておりますのは、そのような考え方に立ったからでございます。
相性尊重の原則というものを今度の臨教審の答申でも改めて提起をしたということは、一人一人を大切に行き届いた教育をして、それぞれの能力を十分に開発して切磋琢磨をし、結果としてそれが社会、国家の活力になっていくように願っておる期待があるわけでありますから、個性尊重の流れというもの、またそれを臨教審が大きな柱として打ち出したということには私はそれなりの評価をしておるところでございます。
○海部国務大臣 先生の御議論に反論するつもりは全くありませんし、先ほど私が個性尊重、その重視した姿勢を評価する、こう申しましたのは、個人の尊厳、人間の尊厳、一人一人の人格の尊重ということは当然大前提として含まれておることでございましたから、教育のあり方という場に光を当てて、戦前の全体主義のもとにおける、個性を抜きにした、言葉をかえて言えば、人間の個性というものを全然無視して国家目的のためにそれを一つにしようとしたような
○岡本参考人 まず「公共」という言葉でございますけれども、御承知のように、前には「自主・自律」というのがございましたのですが、どちらも個性尊重、自由主義から出ました自分を大事にということでございますので、その点は一貫して一番大事なものであるという認識を持っております。
その原因がもともと学校偏重の画一的な教育にあったというようなことから、このたびの教育改革を個性尊重というようなところに置いておるわけでございまして、やはり一人一人の自分の子供を注意しながら大事にしてほしいということに尽きると私は思っております。
○岡本参考人 先生がおっしゃいますように、個ですね、個性尊重、個人の尊重、自由・自律、自己規制というような一連の言葉につきましては、単に自分を主張するだけでなしに、他の個性も認め合うということを強く主張しておりまして、先生のおっしゃいます連帯ということ、他を認め合っていこうということは、個のところから、我々は大変「自由」を言いましたころからも、個性尊重というものからそれは考えておるわけです。
それを政府が尊重しなければならぬ義務を持っているとすれば、個性尊重の中でもって、目の届くところの一人一人にきめ細かい教育をやろうとすれば、生徒数が少ない方がいいに決まっているのですから。これはどう考えますか、初中局長。
○高桑栄松君 それでは最初に、臨教審の第二次答申原案というのが三月三十一日の朝日新聞に、項目みたいなものでありますけれども出ておりまして、これを見ますとやはり個性尊重とか個性重視とか個性確立とか個性が非常にたくさん出てまいりますので、もう一度取り上げさせていただこうと、こう思ったわけであります。
びないようではいけませんから、そこで臨教審の御議論の中では、きょうまでも、ややもすると形式的平等主義に陥りがちであった教育の中から、一人一人がどんな資質を持っておるのか、どんな適性を持っておるのか、どんな能力を伸ばしてあげたらいいのかという点に焦点を置いて、そういう教育改革をやるべきだというような立場で審議、御議論が進んできたと私は受けとめておりましたし、私もそれはいいことだと思っておりましたので、個性尊重
最初は自由主義、それが個性主義、個性尊重、個性重視、こういうふうに変わってきたように新聞なんかでは拝見しております。個性というのを、例えば第一次答申、昨年の六月の二十六日ですね、第一次答申をお持ちだったら開いていただくとわかりますが、例えば十ページ、これは行の終わりの「である。」とか見出しみたいなのを含めて二十五行のうちに「個性」という字が十四個出てくるのです。大変な頻度で出てまいります。
大変深いお考えでございまして、私どものこの答申に「個性」というものを、個性尊重というものを出しておりますけれども、その際には十分検討しておかなきゃならない問題でございまして、大変その点はありがたいと思っております。
個性尊重とか個性重視という言葉は、どうも私は医学的な考えで言うものですから明快に物を言い過ぎるかもしれませんが、素質以前となりますと、尊重なんかしたって困るわけですというのが一つあります。 それでもう一つ申し上げたのは、個性重視ということは教育を施す側が言っているのであって、重視される側の子供は、世の中へ出ていってみたときにだれも重視してくれなかった、私の個性を重視してくれなかった。
それから個性主義、個性尊重、今個性重視という言葉が使われているわけであります。第一次答申の九ページに「個性重視の原則」というのがございますが、後でこの内容について質問させていただきますが、ちょっと驚いたんですけれども、十ページを見ていただきますと、個性という言葉が二十五行の中で十四個出てくるんですよ。何とこせこせと個性が入っているのかなと実は驚いたんです。
私どもは、そういった流れから見ますと、その「審議経過の概要」に載っていなくても、例えば個性尊重の教育方針というものがどういう議論があってどういう流れで来たのかということなんかは新聞なんかでも詳しく報道されておったことと記憶いたします。
例えば、教育臨調第一次答申では、「個性重視の原則」を掲げておりますが、その個性尊重の意義をいかに大きくうたっても、一学級当たりの児童生徒数が他の先進国に比較して著しく多い現状では、行き届いた教育はできません。
言いかえれば、人権思想というものが背景にあって、そして機会均等ということになり、それが教育基本法にも憲法にもあるわけですけれども、それを表現の仕方として、いろいろあると思うんですが、個性重視あるいは個性尊重という個性に照準を合わせた教育改革の一つの手法というものもこれはもう間違いでなくあり得ると思います。
○高桑栄松君 有田参考人の御意見、私、大変満足しておりますけれども、個性尊重というのを個の確立というふうに今度の第二次答申で変われば大変うれしいなと。これは国民合意の形成の一つだと思って聞いていただきたいと思います。
○吉川春子君 石井参考人に対して同じ質問をお尋ねしますが、教育の機会均等ということと個性尊重の教育ということは矛盾しないと思いますか、いかがでしょうか。
もしこれを密室でやっておりましたら、これはまさに審議を深めておる段階でございまして、今あれを、自由主義ということではいろいろ問題がある、それを考えに考えて個性主義――個性主義では言葉が十分でない、それは個性尊重、それは普通の言葉じゃないか、いろいろなことを審議しましてここに行っておるので、決してふらふらして変わっておるのではない。
○榎本委員 最後に、もう一点、これは答申と直接関係があるのかどうか私もちょっとわからないのですが、一番初めに質問申し上げましたいわゆる個性尊重といいますか、そういうもので貫かれておるわけでありますが、こういう今回の答申の内容はまことに非常に結構な内容だ、私はこういうふうな評価をしておるわけでありますが、こういう精神面といいますか、心の面といいますか、そういう面が教育の中でそれなりの効果を持つということは
それから、戦後教育の見直しについても、今申しましたように、個性尊重が言われながら実行されておらない、そういうことについての反省をということでございます。
私は、そういう意味で、この教育理念の部分については、今お話がありましたように、いろいろな議論の中で個性尊重というふうに今日答申に書かれるように伺っておりますけれども、ぜひこれからもこの部分については慎重な議論を臨教審でしていただきたいし、それをなるべく国民の目に触れるようにしていただきたい。今回も学歴の問題についていろいろと議論が出ましたが、いろいろ修正されてよかったと思います。
この新聞自体、宿舎へ送ってくる新聞でございまして、私もけさ起きて読みましたけれども、かなり痛烈な書き方でございまして、例えば個性尊重というのが今度の第一次答申の中に理念の基本部分として出てくるのだろうけれども、戦後教育を貫く大きな柱は個性尊重であった、今さら臨教審に教えられなくてもそれはわかっていることではないか、それがなぜ生かされなかったかということについての反省点を明らかにすることが臨時教育審議会
○池田(克)委員 臨教審の内部ではいろいろと個性主義——最初は自由化という話が出ておって、それから個性主義、個性尊重、しかもそれが第一次の中間報告ですか答申には表に出ないという話もあったり、いや今度はそれが出るんだという話があったり、いろいろ報道を見ておりますと実に目まぐるしく変わっておりますが、これは実態でいいと思うのです。
個性教育の議論の中で、字引を引っ張ってみましたら、最後の方に個性尊重の教育という中で、発展段階にある非常に小さい義務教育の段階等において多様化の議論を徹底的にするということは、これは職業選択にも関係する問題であるから、小さいときからそういうことをすべきではない、こういう文章が字引に出ているわけです。終わりの方に、たくさんな文章の中で、ある人の論争に対する引用文として結論的に出ておるわけですね。
要するに個性尊重、その子に向いたやり方をやっていくとか特色のある大学をつくるとか学科をつくるとか、そういうものが今までの平等、無差別主義に対して差別である、そういうことから、不公平な取り扱いである、そういう間違った観念に走っていって改革を阻んだ力が非常にあると思うのですね。この悪平等の観念を打破して、そしてその子たちの個性を十分に生かした個性味あふれる教育体系に直していく。
質疑は、教育基本法と審議会における調査審議内容との関係、審議会委員の任命についての両議院の同意の必要性及び委員の人選基準、審議会の答申等の国会への報告及び審議内容の公開、教育の画一性の是正と個性尊重教育の実践、学歴偏重や有名校志向の社会的風潮の打破、偏差値偏重の解消、共通一次試験の改善、四十人学級の早期実現、教科書検定問題など広範多岐にわたって行われましたが、その詳細は会議録により御承知願いたいと存
そうすると文科に行く者も数学をといえば、完全な平均的な優良児を目指しておるとしか思えないわけですけれども、いまは個別時代だとか個性尊重だとか特色ある人間と口では言いますけれども、学校制度の中では、特色をなくするように、なくするように、角があれば抑える、ちょん切る。そして何とか平均的人間を目指しているようにしか思えないわけです。