1955-06-24 第22回国会 衆議院 決算委員会 第21号
前回の委員会におきまして各委員より御要求のありました参考人に関する件につきましては、本日理事会におきまして協議をいたしました結果、検査報告番号一〇五関係の河田母子厚生会及び松竹株式会社、検査報告番号一〇六ないし一〇八関係の萱場工業株式会社、株式会社倉田商店、日本産業株式会社、東京築地青果株式会社、以上の各代表者を参考人として本委員会に出頭を求めることとし、その出頭の日時は追って委員長が理事会にはかって
前回の委員会におきまして各委員より御要求のありました参考人に関する件につきましては、本日理事会におきまして協議をいたしました結果、検査報告番号一〇五関係の河田母子厚生会及び松竹株式会社、検査報告番号一〇六ないし一〇八関係の萱場工業株式会社、株式会社倉田商店、日本産業株式会社、東京築地青果株式会社、以上の各代表者を参考人として本委員会に出頭を求めることとし、その出頭の日時は追って委員長が理事会にはかって
一〇五号は、二十六年一月に元統計局の隣の土地、工作物はやはりへい、木柵でありますが、これを母子寮、遺児寮などの施設に使用する条件で売り渡したものでありますが、六月、八月に松竹と日本輸出林業に転売したもの、次の三件はともに元貯金局の土地でありまして、一〇六号は二十六年三月機械器具の集積倉庫敷地として萱場工業に、一〇七号は、事務所及び倉庫敷地として倉田商店に、また一〇八号は、四月工場及び倉庫敷地として日本産業
それから一〇七番は、若干古いものでありますが、二十三年の十二月から倉田商店に、占領中でございますので、一時使用の許可をいたしたのであります。その後その使用者に帽子と雑貨等の輸出用の倉庫用地として売り払いをいたしたのであります。その次の一〇八番は、これも同様に二十三年の十二月に一時使用許可をいたした土地であります。
「用途を指定して売り渡した国有財産に関し処置当を得ないもの」のうちの一〇六、一〇七、一〇八の三つですが、これは昭和二十六年の三月に萱場工業株式会社、二十六年の三月に同じく株式会社倉田商店、また二十六年の四月に日本産業株式会社、この三つに売り渡しているのですが、それを東京築地青果株式会社が二十六年六月と二十六年九月、二十六年十月にまとめて買っておるのです。