1972-03-29 第68回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第4号
これを皆さん方の御要望のとおりのものを完備していこうとする場合に、財源として、今後いわゆる石炭の位置づけを確立するということは私どもも要望しておるところでありますが、これをやっていくについて、財源が十二分の十で、これさえ確保すればこれでやっていけるとお考えなのであるかどうか、ひとつこれは労使、倉田会長及び里谷さんでけっこうでございますが、里谷さんが組合側のほうを代表してひとりお答えを願いたい。
これを皆さん方の御要望のとおりのものを完備していこうとする場合に、財源として、今後いわゆる石炭の位置づけを確立するということは私どもも要望しておるところでありますが、これをやっていくについて、財源が十二分の十で、これさえ確保すればこれでやっていけるとお考えなのであるかどうか、ひとつこれは労使、倉田会長及び里谷さんでけっこうでございますが、里谷さんが組合側のほうを代表してひとりお答えを願いたい。
先ほど来、倉田会長はじめるるお述べになりました安定補給金の増額の問題であるとか、鉱業審議会の新体制に対する御希望であるとか、あるいは国鉄運賃の問題であるとか、いろいろございましたが、むろん、そういうことについては、私どもは微力でございますが、お手伝いを従来も申し上げておりますし、また今後も申し上げることにやぶさかではございません。
そういう点から、いまの当面する石炭問題の解決、そういうことは、いま私がお話しを申し上げておる、また植田参考人から伺ったこと、私は、おそらくこれは大手炭鉱の協会のほうでも倉田会長も賛成だとおっしゃると思うのです。それから、きょうおいでになっておる三つの労働組合の代表もおそらく私は賛成であろうと思うのです。
たいへんお忙しい中と思いましたが、きょうはおいでいただいたのでありまして、以下、この問題の今日までの経過、さらに、これから一体どうしてこの放送をやっていくかという、そういうところに重点を置いて御質問したいと思いますが、実は倉田会長にもおいでいただくように手配したのでございますが、きょうは科学博物館の科学週間とかでおいでいただけないというので、あるいは藤本本部長さんにいたしましても、その後経営を引き継
ただいま御質問の点は、実は、私は昨年六月末にこの副会長に就任し、テレビ事業を倉田会長から受け継いだのでございまして、創立当時のいきさつその他についてはあまり関係しなかったものですから、詳しいことはわかりませんが、私も、開局以前から協力会のメンバーとして毎月幾らかの協力会費を出しておる会社も別にやっておるものですから、大体のことはわかっておりますが、昭和三十五年ごろの経済界の事情と、これを認可を受けて
大手町の農協ビルで開かれておるようですが、日本テレビの清水社長、TBSの鹿倉社長ですね、それからフジテレビの鹿内社長、十二チャンネルの倉田会長、こういうような人たちが集まって、民放の各社の代表の人たちに説明をし、この動きをしておるようでございますが、これは郵政大臣、これらの事実御存じでございますか。
○鈴木強君 ここで私は幾ら赤字があるとかいうことをお聞きするのはたいへん影響があると思いますから、それは差し控えますが、先般も大臣が倉田会長をお呼びになったのかどうか、これは知りませんけれども、何かの御注意か何かをやったようにも伺っておりますが、実は十二チャンネルは出発当時から問題がございまして、現在も行政訴訟中の中央教育放送などもございますね。
本案審議に当り、日本輸出入銀行山際副総裁、全国銀行協会千金良会長、日本機械工業会倉田会長及び造船工業会丹羽会長より、日本輸出入銀行の現状並びにプラント輸出の実績及び見通し等について、詳細なる意見を聴取する等、慎重に審議いたしたのでありますが、今質疑の主なるものを申上げますと、「日本輸出入銀行の六月末融資残高は五十六億二千万円であり、百五十八億八千万円の余裕金があるが、このうち食糧証券に百五十億円を運用