2015-04-22 第189回国会 衆議院 文部科学委員会 第6号
さかのぼりますと、戦後、教育勅語に基づく戦前の修身教育が否定をされ、昭和二十二年、教育基本法で社会科が新設をされました。その後、昭和三十三年、子供たちの道徳的価値観を育むため、道徳の時間が新設をされました。約十年ごとの学習指導要領の改訂により、その時々の子供たちの実態に合わせて、時代に合わせて改良が進められてきたわけであります。
さかのぼりますと、戦後、教育勅語に基づく戦前の修身教育が否定をされ、昭和二十二年、教育基本法で社会科が新設をされました。その後、昭和三十三年、子供たちの道徳的価値観を育むため、道徳の時間が新設をされました。約十年ごとの学習指導要領の改訂により、その時々の子供たちの実態に合わせて、時代に合わせて改良が進められてきたわけであります。
私は、その後、もう少し紹介したいと思うんですけれども、一九四五年、敗戦を迎えて、占領軍が修身教育はこれは廃止をしました。
ただ、今回、なぜ教科にするということについては、戦前のような修身教育を復活しようということではないということが基本的にあります。
あと、先ほど道徳教育についてお話をされたんですが、では、なぜ明治時代に教育勅語を出して、そして修身教育を行ったかといえば、これは、伊藤博文がヨーロッパを回ってくる、その中において、教会の役割が極めて大きいということに気がつくんですね。それは子供たちに、神様が見ている、神と自分の関係において罪を犯してはならない、こういうことだったわけでございます。
それで、またお話の中で、特別活動あるいはほかの科目の中での授業の織り込みというようなこともありましたので、あえて申し上げますと、私は、戦前の修身教育といったものがありましたけれども、軍国主義的な意味は全く否定したいと思いますが、そういった意味ではなくて、礼儀作法であるとか、長幼の序だとか、挨拶だとか、そういったことの大切さを進める意味でも道徳的な時間をふやしていただくということで、これは国語になるのか
過去の修身教育が、神代の昔に始まる国史教育によって支えられたという事実を国民学校児童である私は忘れることができません。ちなみに、第二十一条第三号には、我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き云々とありますが、何を正しい理解というのか、現実に照らして批判的な検討が必要であると思います。 次の問題に移ります。
戦後の道徳教育というのは、戦前のいわゆる修身教育に対する反省の上に始まっていると思います。これは、文部省が四六年に出している中等学校・青年学校公民教師用書というのがありますが、従来の極端に国家主義的な教育方針の結果、道徳の向かうところもまた一律に国家目的の実現というふうに考えられた。
何も修身教育を復活しろとかいうことを言うつもりはありません。ただ、少なくとも、最近の世の中の事象を見ておりますと、あらゆる分野でこの欠けていることがたくさんあるんじゃないか。 政治家だってそうだと僕は思うんですよ。だって、政治家の不祥事いろいろあるけれども、みんな修身にかかわる部分じゃないですか。修身の部分がなくて国とり物語ばかりうつつを抜かすから、政治不信が出てきておるんじゃないですか。
ただ、私が先生にお答えしたのは、修身という、この戦前の修身教育というものとおっしゃったから、修身という言葉を現在の教育からなくしてしまった理由は、修身という言葉をですよ、なくしてしまったのは、さっき言っていたような、教育の、言うならば戦前は教育基本法に当たるものが教育勅語であったわけですよね。そういう経緯がありますよということを申し上げただけです。
それは、明治三十七年から、まあいろいろな分析ございますけれども、五期に分けて、一つの期が何年から何年かというのは必ずしも全部が明確ではありませんけれども、大体五期に分けられて修身教育というものが今日までいろんな改正される中で行われてきました。
○国務大臣(伊吹文明君) 今おっしゃった、いわゆる戦前の修身教育ですか、これは、この中を読みますと、家族愛だとか友情だとか博愛だとか、いいことはたくさん書いてあります。それは現在においても何ら間違ったことでは私はないと思います。 問題は、戦前の教育は一時期非常に不幸な事態があったということ以前に、日本の戦後の教育基本法と憲法の下では戦前の立憲君主国じゃなくなったということですね。
私ども昭和一けた生まれの人間は、戦前の修身教育は受けましたが、戦後の混乱、窮乏の中におきまして、生き抜くためには道徳どころか、飢えて死ぬかもしれないのに法律なんか守っておれるか、そう思いながら暮らしてきた経験がございます。 今思い出しますのは、吉田内閣時代、昭和二十五、六年ごろでありましょう、天野貞祐文部大臣が国民実践要領を提案しました。これは猛烈な反対を受けた、このことを思い出します。
○保岡委員 私も大臣と同じように、例えばGHQが教育勅語や修身教育を廃止した、これは戦前の国家主義の教育の反動でそういうことになってきたんじゃないかと思うんですが、教職員や教育界に広く、上からの価値観の強制を嫌って、やっぱりあつものに懲りてなますを吹くたぐい、そういった、道徳教育にしっかりした教育体制が得られなかった、五十年、いろいろ努力してきたが。
それはやはり道徳教育、昔の修身教育をまず否定してきた。 私はこの点で、例えば英国では、もう子供のころからジェントルマンシップというものをしっかりとたたき込まれていますね。そして、フェアということを非常に大事にしている。アンフェアと言われることは死ぬよりつらい。そういう、恥を知る、そういったことを外国では徹底してやってきているんだ。
そういうことを単なる修身教育じゃなくて、もっと具体的な教育として、なぜ下水がなければみんなが困るんだとか、あるいはそれがなければ自分も決していい生活ができないんだよという、そういうような具体的な教育の中で町の中での住まい方、生活感覚としてのルールというのを養っていく必要がある。これからの大きな課題じゃないかというぐあいに存じます。
○菱村政府委員 戦前におきましては修身で道徳教育をやっていたわけでございますが、戦前の修身教育に対します反省から、戦後は昭和二十年に修身が停止されまして、それ以来修身ということは学校教育からは行わなくなったわけでありますが、しかし、道徳教育が必要ないというわけではもちろんございません。
あれは軍国主義でありまして、修身教育というものは、やっぱり多くの価値観を私たちの心の中に宿してくれました。だからこそいわゆる明治、大正の生まれの人間がすばらしい現在の日本を築いてきてくれたと思うのですよ。
随分私はこれを読みながら道徳教育なのかな、修身教育の本を読むような感じだなと思いながら拝見をしておりましたが、教科書だとか学習指導要領、非常に拘束力が強いわけでありますけれども、それをめぐる規制をどうするのかなとということも、この自由化論争の中ではちっとも明確にならないままに個性主義そして個性尊重と、こういうふうに移っていったことについても納得がいかないものがあるわけですけれども、一体、この現行教育制度
人格というのはいろいろな徳目もあるのかもしれませんけれども、戦前の修身教育で、いわゆる完成された人間像を目指しての徳目をたたき込まれたから人格が完成するというわけではないと私は思っておりまして、戦前の修身教育の中で育った人間が今では政治倫理を問われるというようなこともあるわけでございますから、必ずしもそういうふうな人格の完成というものを修身的な道徳に求めるということによっては難しい面もあるのではないか
私どもの経験からいえば、確かに小学校二年生で終戦でしたから、私たちの小学校、中学校の間は全く修身教育といいましょうか、道徳教育というのはなかったわけですね。ですから、そういう教育を受けてきた環境、そのことのめぐり合わせみたいなものが今の社会のいろいろな問題として出てきておるのではないか。
私たちは確かに、修身教育あるいは道徳教育というのは現実には小中高を通じて学んでいないのです。ですが、基本的にはそのことは父や母や社会から教えられた、私どもはこう自分なりに振り返って考えることができるわけです。 そういう意味で、必ずしも教育基本法にかくかく具体的にこう書かなければならないものだとは私は思わないのです。
修身教育をやめさしたということだけが教育に関係しておっしゃったように思うのですが、親に孝行をしろとか、お父さんお母さんを大事にしろとかいうようなことは、笹川何がしなる者がしょっちゅうテレビで言っておりますが、ああいうことを言ったからといって親に孝行になるものでもないので、修身教育を廃止したからどうこうという問題じゃないと思うのですね。
○三浦(隆)委員 最近、子供たちの非行の問題が言われながら、教科書の中身もおかしいのじゃないか、もう少し修身教育などを復活したらいいのじゃないかというふうな御意見がありますが、確かに教科書というのは、いつの時代にあっても大変大切なものだと思います。