1981-10-29 第95回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第3号
そもそも、ことしの三月に修正再建計画をつくりますときにも、実はその辺は慎重にも慎重を重ねた上で、何人かの専門家の御診断も得て、この程度であればゆとりあるものではなかろうか、しかも会社も労働組合も今度は達成可能ということでつくった計画でございます。 しかし、事故が起こって私ども大変残念に思っておりますが、生産自身、たとえば二千万トンを強行しようとしたわけではありません。
そもそも、ことしの三月に修正再建計画をつくりますときにも、実はその辺は慎重にも慎重を重ねた上で、何人かの専門家の御診断も得て、この程度であればゆとりあるものではなかろうか、しかも会社も労働組合も今度は達成可能ということでつくった計画でございます。 しかし、事故が起こって私ども大変残念に思っておりますが、生産自身、たとえば二千万トンを強行しようとしたわけではありません。
先生も御記憶のとおり、実は五十年の幌内災害以後、この会社は幾たびか再建計画をつくり、それがまたそのとおり実行できずにまた修正再建計画をし、また自然火災を起こすということを繰り返したわけでございます。で、私どもも、もう一度事故があればこの夕張の行方はどうなるかわからぬという危機感も持っておりました。
○政府委員(福川伸次君) 五十六年度に例をとってみますと、実はこの火災の前の修正再建計画では日産四千五百トンでございましたのを、昨年の火災のときには四千二百二十トンという計画を持ってまいりました。 〔理事上田稔君退席、委員長着席〕 その後いろいろ検討に検討を重ねまして、幾たびかこれを修正させまして、途中の段階では四千七十トンという計画もございました。
先ほども申し上げましたように、一点目の問題につきまして、期末手当が他同業四社と比較しまして五〇%でございまして、今年度の上期、他社は三十五万五千円ですか、当社は十七万二千五百円、ちょうど五〇%ということでございまして、期末手当については、修正再建計画上その期間は五〇%という協定がございます。その面では他社の五〇%ということが言えます。
北炭修正再建計画は、同じ期限でございますので終わりでございますが、全社を歩きまして、この元利たな上げ協定についての延長方、これも現在お願い中でございます。 加えまして、いま議員おっしゃいますように、私どもの復旧、今後におきますたたずまいを見ていただいて、その上で私は市中金融機関の協力を仰ぎたい。また当然やっていただかなければならぬというぐあいに考えております。
それからあと一つ、この北炭修正再建計画の実施状況をちょっと見てみたわけでありますが、実働能率というところで、計画と実施がかなり、約五%程度ずれておるわけでありますが、いずれにいたしましても、これを見ると、五五%程度が大体実働能率だという数字が、いただいた資料で見ますと出ておるわけですね。
○高瀬政府委員 清水沢の閉山問題でございますが、五十三年七月の北炭の修正再建計画では一応清水沢炭鉱は五十五年度上期末に閉山をするということを前提として計画ができておるわけでございます。その計画はいずれにしても労使の話し合いの結果できた計画でございまして、そういう状況でございますが、現在の時点ではやはり五十五年四月末ころを予定しておりまして、若干早まるというのが実情でございます。
○高瀬政府委員 まず閉山につきましては、五十三年度修正再建計画で九月に一応閉山を予定して計画ができたというのが実情でございまして、最近に至りまして鉱内の炭量の実態が減少してまいりました。九月閉山を四月中に閉山する、繰り上げるということに相なっておるわけでございます。 理由としては、やはり採掘可能炭量が総体的に当時より減少しておるという実態が出てきたからであります。
しかしながら、その後約一年半たっておりますが、修正再建計画の実施状況というのを見ますと、真谷地は大体計画ラインに乗っております。しかし、北炭夕張炭鉱それから幌内炭鉱はかなりの出炭減でありまして、この結果やはり損失が相当大きく出ております。
こういうのを背景にして修正再建計画というものができ、いわゆる会社の分離が執行されたわけですね。ところが夕張新炭鉱の生産体制というものが、計画に対して大変なおくれを示しておる。三つに分離した中で、特にこの夕張が悪いですね。これはあなた御存じのとおりです。こういう状況下で経営再建をどう図っていくのか。
しかしその後修正再建計画では基本的に了承されておるわけであります。当初の再建計画と修正案には基本的にはさほど相違はなかった、こういうふうに聞いておりますが、これはどのように判断されたのかお伺いしたいと思います。