1959-09-10 第32回国会 衆議院 地方行政委員会 第5号
また一瞬にして七十七名の死者と二百四十六名の行方不明者を出した修善寺地域の熊坂部落を見たのでありますが、この部落は大見川が狩野川に合流する地点のやや下流に位して川沿いにあり、大仁橋近くの堤防決壊により、暗夜一瞬にして全部落が押し流され、川ばたにあった修善寺中学校は跡形もなく流失したのでありまして、当時の惨状は想像のほかであったと思われますが、部落民は応急住宅、共同作業場等により復興に励み、耕地は大半整地植付
また一瞬にして七十七名の死者と二百四十六名の行方不明者を出した修善寺地域の熊坂部落を見たのでありますが、この部落は大見川が狩野川に合流する地点のやや下流に位して川沿いにあり、大仁橋近くの堤防決壊により、暗夜一瞬にして全部落が押し流され、川ばたにあった修善寺中学校は跡形もなく流失したのでありまして、当時の惨状は想像のほかであったと思われますが、部落民は応急住宅、共同作業場等により復興に励み、耕地は大半整地植付
特に中伊豆地方におきましては、狩野川上流一帯に降った豪雨は、湯ケ島において五百十・五ミリ、修善寺においては二百二十一・八ミリという未曽有の降雨量を示し、このため天城山一帯から山くずれによる泥土を含んだ濁水が狩野川に押し寄せ、修善寺橋付近において流木や流失家屋にせきとめられた水は、一挙に同橋を押し流し、修善寺町横瀬部落及び修善寺中学校校舎をのみ、さらに水は大仁橋下流左岸において堤防を千メートルにわたって
このため、天城山系一帯から山くずれによる土砂を含む濁流が狩野川に押し寄せ、特に大見川、狩野川、北又川の三つの川の合流する修善寺橋付近においては、上流からの流失家屋や流木が橋につかえた関係もあって、その水量は膨大なものとなり、一挙に鉄橋である同橋を押し流して、修善寺町横瀬部落数十戸及び修善寺中学校を押し流し、さらにこの水魔は大仁橋の取付部分の築堤をのみ、同橋下流の左岸において堤防を実に一キロにわたって
特に中伊豆地方におきましては、狩野川上流の天城山系一帯に降った豪雨は湯ケ島において実に五百十ミリに達し、このため天城山系一帯から山くずれによる泥土を含む濁流が狩野川に押し寄せ、特に、大見川、狩野川、北又川の三つの川の合流する修善寺橋付近においては、上流からの流失家屋や流木が橋げたにつかえた関係もあって、その水量は膨大なものとなり、一挙にこの鉄橋を押し流して、修善寺町横瀬部落数十戸及び修善寺中学校を流