1976-11-02 第78回国会 参議院 運輸委員会 第8号
○中尾辰義君 それから国鉄当局者が、保線係は屎尿を浴びる事実を承知して仕事についているはずである、その程度は当然濡忍すべきである、そういうような倫理の上に立っているようでありますが、いかに労働契約上予定されたといいましても、屎尿を浴びるという人格を無視する労働条件は即刻改善すべきであると思いますが、この辺はいかがです。
○中尾辰義君 それから国鉄当局者が、保線係は屎尿を浴びる事実を承知して仕事についているはずである、その程度は当然濡忍すべきである、そういうような倫理の上に立っているようでありますが、いかに労働契約上予定されたといいましても、屎尿を浴びるという人格を無視する労働条件は即刻改善すべきであると思いますが、この辺はいかがです。
○田原政府委員 従来のあの三川第一ベルト斜坑の清掃は、電動機室は電気係、ベルトコンベヤーは機械係、車道関係は保線係が担当して掃除に当たっておったわけでございます。ところが、その境目、それから側壁との間あるいははりの上、それから電動機室はフレームの上といった目に見えないところに、相当の炭じんが堆積しておったようでございます。
それからそれ以外の、いわゆる斜道、坑道の側壁、天井、こういうものは保線係のほうで分担しておる。こういうそれぞれの係で分担しておるような体制であったわけですが、これがやはり最大原因の一つを形づくったのではないかという点が考えられるわけでございます。 と申しますのは、結局、それぞれの担当範囲の境界が不明確であった。
それから大連を振出しに奉天に約三回、大石橋、四平、最後は牡丹江――最後のときは牡丹江の鉄道局の保線係主任をしておりました。引揚げのときは八月十三日の大体最後の列車で引揚げましたが、十九日に新京に着きました。翌日ソ連軍が入城しました。途中相当な雨が降りましたが、ハルピンあたりは割合静かでした。