2019-03-14 第198回国会 衆議院 総務委員会 第9号
保科正之公は、長野県、あるいは会津、あるいは東京では新宿、八王子、多岐にわたる、幅広く関係のある方でもあります。ぜひ大河ドラマに実現を期待をし、また、地域の経済効果も大きい大河ドラマですので、より多くの地が注目をされる、そしてまた地域経済につながることを期待をしたいと思っております。 それでは、質問に入らせていただきたいと思います。
保科正之公は、長野県、あるいは会津、あるいは東京では新宿、八王子、多岐にわたる、幅広く関係のある方でもあります。ぜひ大河ドラマに実現を期待をし、また、地域の経済効果も大きい大河ドラマですので、より多くの地が注目をされる、そしてまた地域経済につながることを期待をしたいと思っております。 それでは、質問に入らせていただきたいと思います。
私のゆかりのある、桜の三大名所でもありますが、高遠城のある長野県伊那市では、徳川将軍家に仕えた保科正之公のドラマ化が署名が約六十万人集まっております。平成十六年から毎年、NHKに関係者が訪問させていただいていると聞いております。羽村から四谷までの四十三キロという玉川上水を開削されたり、あるいは、高齢者の方に扶持米の給付、要は、備蓄をしてお米を給付した。
明暦の大火は一六五七年、十万人以上の死者を出したと言われていますが、そういうときでも慌てずにどっかと構えたというのが保科正之でした。 総理は東電に乗り込まれたりとか福島に行かれたりとか、あの間司令塔が空いているんですよ、官邸の地下にあるじゃないですか。なぜすぐに現場に乗り込んでいかれたり、福島に視察されるときは経産大臣にまず行っていただくとか、そういうことはお考えにならなかったですか。
日本で初めて公的年金を意識的に制度化した人物として、保科正之のことが月刊自由民主六月号に紹介されています。この人は徳川家康の孫で、初代会津藩主として民政第一を掲げ、様々な重要政策を断行しています。特筆されるのが、社倉の法と言われるものです。高値で農民からお米を買い上げて藩の倉に蓄え、一定の年齢に達した領民には、生涯お米を不足なく与えました。
さて、日本で初めて年金制度を実施したのは、名君として名高い会津の保科正之でありました。その保科正之は、天下は民あってのもの、民の暮らしを安んずることが政治の責任と申しております。これは現代でも同じでありまして、国民が安心できる年金制度をつくることは、政治の絶対的な命題であると考えます。 年金制度につきましては、昨年の改革によって持続可能な基盤が確立されました。