2018-07-20 第196回国会 衆議院 本会議 第45号
保守反動という日本語がありますけれども、そもそも反動では保守はありません。今も不完全な社会である、しかし過去においても理想的な時代はあり得なかった、未来においても理想は実現できない、でも、今あるものをちょっとずつでもよくしていこう、これが保守ですから、保守と反動は相対立する概念であります。 一方で、穏健保守という日本語もあり得ません。なぜならば、保守とはもともと穏健なものであります。
保守反動という日本語がありますけれども、そもそも反動では保守はありません。今も不完全な社会である、しかし過去においても理想的な時代はあり得なかった、未来においても理想は実現できない、でも、今あるものをちょっとずつでもよくしていこう、これが保守ですから、保守と反動は相対立する概念であります。 一方で、穏健保守という日本語もあり得ません。なぜならば、保守とはもともと穏健なものであります。
というのは、戦後、いわゆる進歩派と呼ばれた人たちが、自分の気に食わない論議を聞くと復古調とかあるいは保守反動といったレッテルを張ってきた。今日、この復古調という言葉自体が何か古色蒼然というかアナクロというか、ちょっと昔懐かしいような、そういう感じも受けるわけであります。まあしかし、今でも使う人がおられるわけであります。
河野さんは専ら全国遊説で、自民党の腐敗政治との決別とか、自民党、保守反動だ、自民党の役割は終わった、こういう演説をしておったわけでございまして、特別そういう御指摘の事情で西岡さんが離党したとか、新自由クラブ時代に私どもの仲間にスキャンダルやトラブルがあったということはないというふうに承知しております。
○佐々木(陸)委員 規制緩和ということが、何か少しでも疑念を挟む者は保守反動であるかのような風潮があるのは大変残念ですけれども、私も当委員会で、この規制緩和というものの真実をしっかりと見きわめて、本当に必要な緩和も撤廃しなければならぬものもあるのはそれはもう事実ですから、そういう点をよく区分けしてやっていくように、私もこの委員会でこれから頑張っていきたいということを申し上げて、質問を終わらせていただきます
我々は保守反動の手先だと言われたのだから、ここで。そういうわけですから、何も社会党の中だけの問題じゃないんですよ。多くの国民なり多くの議会人に対しても、どこでどう変わったかはっきり言ってもらわなきゃ困る。
ここまでくると私は多少保守反動かもしれませんが、そんなにどんどん減らしてしまって一体どうなるんだろうなという感じが率直にいたしますので、まず千八百時間でこれをきちっとやって、いろんな経済のあり方を見ながら、また先生の御意見を聞くなりいろんな方の御意見を聞いて次は考えさせていただきたい。
ややこの点は、伊藤先生は、余りやると保守反動のために援助することになっていけないかもしれませんよということをよくいろいろなところに書いておられるのですが、前のようにゴルバチョフを英雄視する必要はもちろんないと思う。
であるとすれば、また状況が変われば彼はプラグマチスト、オポチュニストとして保守反動に転身する人である、このように言い続けてきたわけでありますが、果たせるかな、本年に入りまして一月十三日のリトアニアにおける血の日曜日事件などを契機として、私が数年来言い続けてきたことが的中したということであったわけでございます。
そういう中で、やはりそうじゃないのだ、例えば道徳は必要だし、また子供に対するしつけも必要である、やらなければいかぬのだというようなことを胸に思っておっても、口に出して言うとそれは保守反動であるとか民主的ではないという言葉でどうも片づけられてきて、イデオロギー過剰の中で本当の意味でのそういう論議というものがなされていなかった。
これは既に現在行われている参議院での選挙区における二人区の例に見られるように、死票が三分の一を超すなど、国民の意思を国会議席に正しく反映し得ないばかりか、さきの趣旨説明でも成れましたように、戦後一貫して保守反動勢力がねらってきた一人一区の小選挙区制に道を開く危険性を持つものであり、まさに日本の議会制民主主義の将来に重大な禍根を残すものと言わなければなりません。
○抜山映子君 道徳教育というとすぐ保守反動である、こういうような言い方をされるのが大変怖くて、大体世の中の識者という人は道徳教育について逃げ腰であると思うんです。しかし、私が子供のころを想起いたしますのに、ナイチンゲールのやさしさ、そういうものは修身の教科書で習いましたし、ジェンナーの種痘、これは自己犠牲ということを習いましたし、ワシントンの木を切る話、これは正直ということを習いました。
で、国家とか主権とかと言うと何か保守反動的な感じを持つ人もありますけども、申し上げるまでもなく、現在の世界は百七十ぐらいの主権国家と称するものが集まって、一方では和気あいあいでありますけども、他方ではかなりあくどい競争対立があるわけであります。
昭和三十年、「うれうべき教科書問題」による教科書批判にあなたは力を発揮されて以来、改憲論者として一貫して教育の保守反動化を強力に推進されたのであります。ここに至って突如変心した、いや変心せざるを得なかった理由は一体何でありましょうか。このような文言を入れることによって国民の目をくらまそうとする戦略なのではありませんか。明確に御答弁をいただきたい点であります。
愛国心と言うとすぐ保守反動だと言う人々が支持しているソビエトでさえこうなんですから、日本の教育基本法の中にもっと積極的に国を愛する心をうたってもいいのではないかと私は思っているのでございますが、大臣はどうお考えでしょうか。
また擁護論を言えば保守反動であると、そういうふうにまた一方からささやかれている面もございました。しかし擁護論にせよ改正論にせよ、主権者としての国民が自由に論議してしかるべき世界なのでございまして、そういう意味におきましてタブーがない、自由主義社会においては聖域はない、言論の自由、人権の自由の中にそれは入るんだ、そういう意味のことを特に強調しておきたいと、そう思っておった次第なのでございます。
最後に申し上げたいことは、最近教科書の検定の右傾化とか、保守反動化とかの声も聞かれます。また教科書を国定にするとか検定基準を強化するとかの声も聞かれますが、私はそういうことではなく、文部省がいま現在ある検定基準並びに学習指導要領を正しく適用し、運用し、検定を行うようにしていただければよいと考える次第でございます。
本予算案と今国会で示された政府の姿勢は、保守反動路線を、より巧妙に、より摩擦の少ない迂回作戦で進めようとしている大平内閣の正体を如実に示すものであります。 以下、具体的に反対理由を申し述べます。 第一は、本予算案が、財政再建を口実にして国民に対する大収奪を強行しようとしていることであります。
したがいまして、私が親ソ派であるか、保守反動ファッショであるか私にはわかりませんが、私とても国を愛し、日中もよくしなければならないが、取り巻く国際環境もよくしたい、そのことが日本のためである、平和のためである、こういう信念のもとに政治活動をしているのであって、あなた方からファッショなんて言われる必要は毛頭ありません。
○佐藤(敬)委員 何かこんなことを言うと保守反動みたいに聞こえますが、どうもマリファナがいい、いいとやっているのを見ますと——芸能人なんか盛んにやっている。いわば文化人と言われるような人が盛んに大麻をいい、いいと言っているのです。そしてアメリカのあれを見ましても、大体根拠になっているのは、ヒッピー族が用いて、反体制みたいな形でこれが発展してきたというようなことが書いてあったりするのです。
日本国民も、この問題が起こると同時に、初めて日米間の三十年前の終戦後のあり方がはっきりとわかるようになって、終戦直後、アメリカは日本の非軍事化とそれから民主化を一方で進めながら、保守反動勢力にもてこを入れていたようなことがだんだんと日本国民の心眼に映ってくるようになりました。こういう陰と陽の日米外交の姿が日本国民にはっきりしてきた。
ましてや、いま村上さんが言った内容というのは、まさに固陋頑迷、保守反動という名前を共産党にそのまま返上いたしたい。前進していく、国民のために一歩でも前向きでやっていこうというわれわれが、わずか十二分の一しかいない共産党が反対したからというので決議が行なわれない。しかも現実に長崎をはじめ富山県、石川県、新潟県に死の灰が降っている。