1990-06-19 第118回国会 衆議院 環境委員会 第7号
自覚だけでも済まないと思いますので、私は、厚生省の問題だからというわけにいかず、環境庁が何らかの形をとらなくてはいけない、そんな思いを今のお話を聞きながら思うのでありますが、ぜいたくになって、わがままになって、もうけたらいいんだというところのこの考えが大きく浸透し、そうして便利主義になってきておる。このこともまた私は、環境教育と環境倫理の啓発をやらなくてはならぬ、このように思つております。
自覚だけでも済まないと思いますので、私は、厚生省の問題だからというわけにいかず、環境庁が何らかの形をとらなくてはいけない、そんな思いを今のお話を聞きながら思うのでありますが、ぜいたくになって、わがままになって、もうけたらいいんだというところのこの考えが大きく浸透し、そうして便利主義になってきておる。このこともまた私は、環境教育と環境倫理の啓発をやらなくてはならぬ、このように思つております。
しかし、私はそれも本当に賛成ですけれども、家庭におけるお母さんのお料理ということをどうも一層やってもらうということが前提にあって、それでお弁当にも及んでくるというのはいいけれども、お弁当のことばかり家庭のことを言って、そういうようなことを言っている家庭がつい、お母さんの本当の手料理というものから遠ざかりつつあるような、いわゆる便利主義というような傾向もないわけじゃない。
ちょっと弱い、弱いから、では運動場を囲いましょうとか、何かいままではなるべく便利主義の方といいますか、そっちの方向に来て、人間力そのものをもっと開発していくのだということがちょっと軍国主義的、スパルタ主義的なものであって好ましくないというような方向で来たようなふうにも見えるかと思うのですね。
ただ、それの持っていき方の上で、やや抵抗力を増すといいますか、そういう方向が一つ考えられていいのじゃないだろうか、科学的というと何か便利主義の方向といいますか、ちょっとまずいところを何か物でカバーしていくということに流れやすいことであったのじゃなかろうかと思いますね。 それからもう一つは、体力という点について、これは体育局は本当に御苦労していらっしゃる、これはいいでしょう。
例はありますが、単に延長するということだけで一致しているから、中身が違おうと何であろうと一本の法律で片づけてしまえというのは、国会を軽べつはしていないと言うけれども、余りにも簡便、一回の採決で済ませばいいのだという便利主義、これ以外の何物でもないと私は思うのです。こういうやり方はやめていただきたい。
何といいますか、過保護だとか、いまの便利主義であるとか、それから利己主義のようなものですね、これは克服しなければならぬ問題がある。これをどこら辺からいったらいいのか。これは私が教育勅語のあの道徳は捨てたものではないなんということを幾ら言っても、現代では解決できないのです。そういう点があろうと思いますね。
ここに、たくましく創造力のある国民なんて言われておりますけれども、こう言わざるを得ないのは、現代における何か便利主義といいますか、便利なら何でもいいから便利な方向にどんどんいってしまう。それじゃ、それが子供たち、学習者に対してどう働くか、これは教育の見地から見てどうであるか。それから過保護という問題がございますね。これが一体どうなるか。
外国人にわかりやすく説明する便宜主義、便利主義は許せないという趣旨の御発言でございます。また、国会の場での「日本は王制である」との発言には問題があると、こういうことでございますが、外国人にものごとをわかりやすく説明をしようとする努力をもって便利主義ときめつけることは、妥当でないのではないかと考えられるのであります。
○川村委員 なかなかどうも給与実態調査というものは便利主義で、単位費用を見ていく財源を確保していこうという面については、何か皆さん方の防波堤みたいになってしまっているような気がする。とにかく、拾っていけばたくさんあると思いますけれども、どうもそういう点で単位費用のとり方、その積算の内容に問題があると思うのです。 時間がありませんから、きょうは急いであと二つばかりお聞きをしておきます。
それを税務署の単なる御都合主義、便利主義でその取引の実績について逐一報告をしろ、「あつせんをなした不動産の売買に係る対価の支払を受ける者の氏名又は名称及び住所又は居所その年中のあっせんに係る不動産の取引金額」等々逐一出せというのは、これはいささか越権行為である。
もし教室があいたならば、詰め込み教育になっておりますのをもっとその人員を減らすとかなんとかするべきであって、幼稚園をつくるならば、もっと根本的な問題、ほんとうに幼児教育を大切に思うという立場からお考えを願わなければ、便利主義であるというふうに考えられてなりませんが、それに対してはどういうお考えでありますか。
私の申し上げたのをちょっとお取り違えになっておると思うのですが、東京二十何区全部一緒にしたらいいじゃないかという点、便利主義の上に立つならばそういうぐあいにしなければなりませんし、それとも県でいえば、県全部一緒にするほうがいいし、国全部一緒にするほうがいいのであって、各学校学校でまちまちに採択していることの利点もひとつ考えてみなければならないのではないか。
あまり便利主義に流れると何をし出すかわからぬ。これは主計局長この席に大蔵大臣がおいでにならぬのは大へん私は残念だと思うのですが、石野さん、遠慮なしに池田さんのお喜びになるように、日本の経済は非常に成長したから、これは即刻廃止しますと、こういう答弁をなさってしかるべきだと思いますが、いかがですか。
それから保健所自身が便利主義で使われていますけれども、むしろ他にまかした方がもっと実施されるという方面はそういうような方途も講ずるということで、御説の通り両面作戦ということでございますので、さように存じております。
それで、便利主義からそのような本質を失なうことなく、一つ監督官庁でありまするあなた方におきましては、あくまで民間達識の士を獲得するために努力をしていただいて、官僚化を避けるために、一つ一そうの御努力をお願いいたしたいと存ずる次第でございます。
そういうことから言えば、元号によって、これを呼び名にするというよりは、私は一般使われておるように、西暦一九五九年ですか、こういう呼び名で統一していくということの方が、単に便利主義ばかりではありませんけれども、非常にいろいろな意味で利するところが多いんじゃないかと思うのです。まあとるとらないということは別問題にいたしまして、こういうことについてその後宮内庁としてどのように御検討になったか。
ただあなたの方では便利主義で、金のかからない、六十億ぐらいだからというので〇・一カ月分に飛びついただけの話で、数十億を要する初任給引き上げは追いやったというわけなんでしょう。
また公社の方もそういうことで便利主義で大体やっていく。だから、これは前から当委員会でもこの東南アジア等に対するところのいわゆる通信政策あるいはその他の問題についてはもっともっと大きく取り上げてやっていいんじゃないか。
私は、これは予算を伴わない一つの政策なんですが、場当り的な便利主義的な考え方では、絶対科学技術は振興しないと思う。あなたは御承知と思いますが、旧制中学校時代、私はその当時旧制中学校の教員をやっておったのでありますが、一種生と二種生というのがありました。一種は直ちに就職する、二種は進学組という、選ばれた旧制中学校の生徒の指導に当っても、この一種生徒と二種生徒では大失敗したのであります。
政府の御都合主義で、その都度便利主義に、計画をいつでも延ばしたり縮めたり、あめ細工みたいになさることが自由で、政府として、そういうことに対して政治的に責任がないというようなことになって参りますと、今新しく東北開発促進計画要綱が出ておるわけですが、これはあなたは副総理ですから、関連いたしまして、東北の問題もひっかかって当然出てくるわけです。
そういう便利主義の運営はあるべきはずのものでない。やはり明確に、理論は理論として、あるいはプリンシプルはプリンシプルとして、ちやんと立てて行かねばならぬ。従来鳩自にいた人で委員長の人が、今の日本自由党に二人残つたとすれば、当然起る問題です。
そういう仮定の問題、国会法のきまつていない問題をやるというような、そういう時間を短縮する云々というような便利主義的なことをやるならば、一国会議員の、一政党員の重要な運命をかけた政治的行動に対して、政府の立てたあの不当極まる追放という議員の地位に関する問題、こういうことを、成規の手続でちやんと出してあるわけです。