2005-03-16 第162回国会 衆議院 厚生労働委員会 第6号
御説明の前後が逆になりましたが、主として問題とされたのは、字から見ても侮べつ感を感じさせる表現であること、また、最近、アルツハイマー病の方、患者さん御自身が発言する状況がふえてきておりますが、そういうことからわかってきたことからすると、そういう認知症の実態を痴呆という日本語が正確に表現していない、痴呆になると何もかもわからなくなってしまうというイメージが一般に流布しがちだ、それから、非常に痴呆ということについて
御説明の前後が逆になりましたが、主として問題とされたのは、字から見ても侮べつ感を感じさせる表現であること、また、最近、アルツハイマー病の方、患者さん御自身が発言する状況がふえてきておりますが、そういうことからわかってきたことからすると、そういう認知症の実態を痴呆という日本語が正確に表現していない、痴呆になると何もかもわからなくなってしまうというイメージが一般に流布しがちだ、それから、非常に痴呆ということについて
○尾辻国務大臣 局長からお答えいたしましたけれども、痴呆という言葉がどうしても侮べつ感を強く感じさせるものですから、この言葉は変えたいということで認知症という言葉にしたわけでございます。ただ、変えたばかりでありますから、先生再三言っていただいておりますように、認知症という名前がまだ認知をされておるとは思っておりません。
○国務大臣(尾辻秀久君) まず、痴呆という言葉を認知症に変えた理由でございますけれども、痴呆という言葉が侮べつ感を感じさせるということが一つであります。それからまた、痴呆という表現は、そうなると何も分からなくなってしまうというどうしても誤解を与えておりますし、そのことへの恐怖心から早期発見、早期診断等の取組への妨げになっている。したがって、言葉を認知症と呼ぶことにいたしました。
冷戦構造の終結は、同時に経済の構造変化をもたらしておるわけでございまして、グローバリゼーション、ボーダーレスの時代と言われてさまざまな動きが出てきておるわけでございますけれども、実は私、冒頭大臣に、環日本海時代における日本海側の諸地域、つまり、従来は裏日本と言われていささか、何といいましょうか、ある種の侮べつ感をその言葉の中に感じながらさまざまな政治の課題に取り組んできた、私も新潟でございますし大臣
○和田(静)委員 私は、中曽根さんの発言にしろ渡辺さんの発言にしろ梶山法務大臣の発言にしろ、あるいは昨日の愛知さんの発言にしろ、どうもかつての加害国が被害国に対する謙虚さを忘れている、経済大国という、知らず知らずのうちに内的に蓄積している他国に対する侮べつ感とでもいいますか、他国に対するそういう本音の発言が自然に出てきている、そういう感じがしてならないのであります。
しかし、裁判官が弱者に対する侮べつ感のようなものを持ってもらっては困る。一般的な法律的な教養に対して、もうちょっとそれを深めてもらいたい。それから、自己の扱っておる仕事だけに目を狭めてもらっては困る。広い視野に立って、諸般の法律的な規制というものがあることに思いをいたして、今回の道下裁判官のように全国の労働組合から指弾を受けるというようなことがないように十分心してもらいたい。
次に、先般のアメリカ原潜ジョージ・ワシントン号と日昇丸の衝突事件に対するアメリカ側の当初の対応は、日本及び日本人に対する侮べつ感のあらわれとも目すべきものでありました。総理は、昭和二十九年、ビキニ事件の折の日米共同声明と同様、この問題に関するアメリカ側の陳謝を共同声明にうたわせるべきでありました。それはともあれ、総理は、この事件に関するアメリカ側の中間報告に満足しておられますか。
○吉田正雄君 これ、一貫して流れているのは、非常にイスラム諸国というものに対する侮べつ感と言ったらいいんですか、見おろした、見下した態度というものがこの前後の文脈を通じて脈々としてあらわれているわけですね。文部大臣、イスラム教は特別な宗教であるという決めつけ方をしておりますが、そういう見方でよろしいんですか。仏教は特別の宗教であるというふうに相手側から見られませんか、そういう言い方をするならば。
そういうところから日本に対する侮べつ感というものがあるかもしれない。そういう国柄でありながら、大変高度経済成長の波に乗って経済先進国である、ドルはどんどんたまって豊かな国だ、どうなっちゃっているんだみたいな受けとめ方しかされないんじゃあるまいか。もちろん全部が全部、イギリス、フランスの人たちがそういう考え方を持っているとは言いません、日本をよく知っている人もございましょう。
君らの教師に対する優越感、教師に対する侮べつ感というものが——口ではうまいことを言っている。非常にとうとい職業であるとかなんとかとかうまいことを言っている。専門職であるとかなんとか言っている。自分たちの自由にできないような教育やっていて何の専門職。
その異民族に対しますところの差別感、侮べつ感というものがやはり底流として警察当局にあるからこそ、私は、問題の本質的なとらえ方が非常に軽くなっておるのじゃないだろうか、こう思うのです。重ねて聞きますけれども、その点が最初の答弁にもなかっただけに、こういうことがあっては困ると思うだけに、その点はあなた方どう考えられますか。
その意味において、私どもはまず一つ、姿勢を直すという点において、いま言ったような白人に追いついて、追い越して、そして日本の独立を守ろうという百年の伝統でもって、いわゆる白人に対する崇拝と、そして有色人種に対する侮べつ感というような、こういうものをひとつほんとうに直さなければいかぬと思うのでございますが、そういう点からいきまして、まず第一に、外務省の姿勢についても直してもらいたいと思う点があるのでございます
落ちついておらないだけでなしに、彼らはさらに白色人種に対しましては一種の劣等感を持ち、そうして同じ有色人種であるインド人に対しまして侮べつ感を持っている。
したがって、このことばを、穗積君の政策論議の内容、佐藤総理の政策批判の内容と切り離して考えることは適当でないのでありまして、そういう観点から見ますならば、この問題になっておりますことばは、言うまでもなく、政治的評価の表現でありまして、決して侮べつ感を持って、罵言を弄したものではないということは、容易に結論できることであると考えます。
その点は、与党の先生方に、私がさっき言ったように、侮べつ感も何もない、用語が間違っておったらいつでも訂正しますと言っておる。それをとらえて、総理を神格化したオーソリティーを持ち出して、それに対して、無礼だ、切り捨てごめんだというようなお考えは、与党の責任として、むしろ佐藤さんの政治路線について問題ではないでしょうか。
そこでそれが語感として、社会一般で言う非常に侮辱的な語感を与えておることを知っておるか、それについては、私、先ほど石野さんもお示しになりましたが、売国奴あるいはばかやろうというふうなことばを使えば、これは明らかに、客観的に、侮べつ感あるいは相手に対して名誉を傷つけるような表現であるということは私も知っております。
私は侮べつ感を含んで言ったというのではなくて、私は愛国に対する反対、すなわち国益を売るものとして売国ということばを論理的に使った。しかも佐藤さんと私の応答の論議を追ってきた中で、冒頭の愛国に対する佐藤さんの所信の表明からずっと来て、それで、そういうことではあなたは売国者になりますと言わざるを得ませんよという意味で言ったのです。
したがって、私の発言が総理に対する罵倒であり、無礼を働いたと、鯨岡議員の提案理由の中に、第一に指摘されておりますが、これは私は、侮べつ感を含んで総理を罵倒して、そうしてその政策が誤りである、あるいはその政策を引っ込ましめようとするような、下劣かつ非合理的なことをやったのではございません。
私は、佐藤首相に対して、売国奴と、侮べつ感を含んで、決して、けなしたのではありません。冷静に、佐藤首相との間における政策論争の論理を追うてみて、愛国者の反対のものであると断定をし、かつ政治的評価を加えたのみであります。御承知のとおり、由来、東洋語には、上といえば下、白といえば黒、善といえば悪というように、韻を踏んだ対語というものがあります。
私の言うのは、幸か不幸か、偶然か、私は偶然とは思わないけれども、こういうような「裁判所広報」や何かを見る人はないといってみても、裁判長が労働組合に対して憎悪感、侮べつ感、偏見を持っている思想というものが「裁判所広報」に掲げられるというところに問題があることを言いたい。
何かここにも先ほどから申しておりますように、税理士会に対する侮べつ感といっては恐縮でありますが、余分な監督、余分なものの考え方がひそんでおるような気がしてならぬ。これらの条文はないほうがよろしい。そしてこの条文があることによってどういう効果が期待されるかといいますと、何らの効果もない。
しかし、私の主観を申しておそれ入りますが、はなたれ小僧という用語は、何らそえに侮べつ感やら何かというものを念頭において言う言葉じゃないのであります。子供だということであります。分別のない子供。都会人は、昔からはなをたれませんけれども、いなかの子供は、はなをたれるということは、もうほとんど通有の状態だった、われわれの子供の時代は。
それをソ連人は非常に奇異に感じ、かつ、それによってあたかも日本の国論が統一していないかのごとくに、われわれに対し、一つの侮べつ感を持つような感じがいたします。それからなお、日本の国力の伸張がひしひしとわれわれの待遇その他にも響いてくると いうことを私は痛感いたしました。