1962-03-07 第40回国会 衆議院 農林水産委員会 第15号
ところが一番の責任者である主任の方は、もう問題が済んで――これは四月の下旬のことでありますが、昨年の十一月の二十日になって、依頼免官であります。依頼免官は、自分の都合でやめるのですから、責任はなかったのですよ。では署長以下はどうかというと、年も迫って十二月の二十七日、翌日は御用じまいでありますが、十二月二十七日に、訓告ないし戒告であります。なるほどとった者も悪いでしょう。
ところが一番の責任者である主任の方は、もう問題が済んで――これは四月の下旬のことでありますが、昨年の十一月の二十日になって、依頼免官であります。依頼免官は、自分の都合でやめるのですから、責任はなかったのですよ。では署長以下はどうかというと、年も迫って十二月の二十七日、翌日は御用じまいでありますが、十二月二十七日に、訓告ないし戒告であります。なるほどとった者も悪いでしょう。
あるいは前の井上印刷局長ですね、この処分の問題につきましても、この前の国会でございましたが、依頼免官はけしからぬじゃないか、こういう詰問に対しまして、役人が免官をされるということは、これは非常に重い罰でありまして、これは重罰でありますという答弁を平気でやっておられた。きょうの委員会でも問題になったと思うんですが、運輸省の壷井さんの問題もありました。
○八木幸吉君 今の委員長のお話に関連してでございますが、先般来大蔵省の官房長ともいろいろ折衝したのですが、依頼免官がこの場合には一番極刑であり、妥当である、こういうことを心底から信じて、信念的にお話しになる。
履歴の方は刷つて置きましたから特に申しませんが、大体申しますと、御覧の通り磯部君は東京大学を出て内務省へ入つて、内務省系統の地方官等をいたされ、のちに秋田縣知事、昭和二十一年七月に依頼免官になつておられます。そうして鈴木君は先般すでに御説明申上げました通りで、最後に一級官に昇敍の件が付加わつたわけであります。
古谷善亮君は、大正十四年に東京帝國大学の法学部政治学科卒業、同年高等試驗行政科合格、直ちに鉄道省に入られまして、鉄道事務官、それから鉄道省の陸運監理官、鉄道省運輸部庶務課長、鉄道省監督局鉄道課長、総務局会計課長、大臣官房法規課長等を歴任されまして、昭和十八年鉄道監、これは当時の勅任官でありますが、鉄道監になられまして、後に依頼免官となつてから、鉄道軌道統制会理事に就任され、更に鉄道輸送中央協議会の幹事
その後昭和二十一年に社会党の常任書記をされ、同年九月には社会党の中央委員をやり、同年十月には幹事になり、二十二年五月には社会党参議院事務局長となり、同年十二月十七日に農林大臣祕書官となり、二十三年三月三十一日に依頼免官になつておる方でありす。この経歴を考えますと、肥料行政については何ら知つておらない。