1949-09-16 第5回国会 参議院 厚生委員会 閉会後第5号
キテイ台風の來襲と同時に台風襲來のときから水害、防疫対策の万全を期しますために技官一名、事務官一名を当直させて連絡指導に当らせたのであります。同時に東京都内の被災地に対しましては、公衆衞生局長以下係官が再三現地に参りまして連絡指導いたしたのであります。又被害が大きいと思われました神奈川縣並びに群馬縣に対しましては、それぞれ係官を現地に派遣いたしまして連絡指導に当らしたのであります。
キテイ台風の來襲と同時に台風襲來のときから水害、防疫対策の万全を期しますために技官一名、事務官一名を当直させて連絡指導に当らせたのであります。同時に東京都内の被災地に対しましては、公衆衞生局長以下係官が再三現地に参りまして連絡指導いたしたのであります。又被害が大きいと思われました神奈川縣並びに群馬縣に対しましては、それぞれ係官を現地に派遣いたしまして連絡指導に当らしたのであります。
その後引続いて各種の台風の來襲を受け、近くはジユデス台風の來襲を受けまして災害を重ねて参つているような次第で、当該災害地の都道府縣に対しましては、與う限りの緊急の措置を講じたいという意味におきまして、ジユデス台風に対する関係として、六億円の支出を決定いたしましたことは御承知かと存ずるのでございます。
今回のデラ台風に伴う降雨は、雨量としましては、平均百ミリないし二百ミリ程度のものであつたのでありますが、第一に本台風來襲、数日前よりの九州地方、ことに南九州一帶にわたり三百ミリから五百ミリに及ぶ豪雨がおりまして、各河川の保水力は、すでに飽和点に達しておつたこと、第二に、本台風が例年になく早く、すでに梅雨期において來襲したこと、第三には、本台風通過直後再び南九州一帶に三百ミリから四百ミリに達する豪雨のあつたこと
すなわち二十日午前零時、民團側暴力團約二十数名は、白鉢まきに日本刀、手裏劍、手製手榴彈等で武裝、当連盟下関支部管内大坪分会方面に大挙來襲し、当連盟員数名に、背後より日本刀でめつた切りにし、当連盟下関支部管内第一分会長夫英明氏に瀕死の傷を負わせ、金國(二十歳)氏の右肩に手榴彈を投げつけた。さらに花田と称する二十歳の青年は、警察官の面前で背中を突き刺されたが、警察官は犯人を逮捕しなかつた。
それから青森の檢車区とその家族は、廳舍と官舍の陳情團の來襲に遭つて管理部及びその他の官舍では状況が危險のため待避をした。それから福島の管理部では管理部廳舍に待機中の警官隊に、更に市の警察官百名を伴つて増員に來たところが、廳舍に入つておつた者のうちで約半数は退去いたしましたが、まだ七十名ばかりの者が又ここへ閉じ籠つて解散を拒否しておつた者が、一時二十五分に全員退去いたしました。
戰後我が國の荒廃した國土にとりましては、かかる天災は大きな傷手を相次いで重ねる結果となりまして、今や災害によりますところの損害は、年々雪だるま式に増加の一途を辿つておるのでありまして、一回の台風來襲によりまして、実に数百億の経済的損失がもたらされておる現状であるのでございます。
わが國の氣候並びに風土を考えてみまするときに、東亜のモンスーン地蔕に位し、夏季は南方洋上に発生する低氣圧が台風となつて來襲し、また多季間は大陸に起つた高氣圧の影響によつて裏日本一帶に多量の降雪をもたらすのが常でございます。
○田中專門調査員 四國石鎚山に源を発し、高知縣を貫流する仁淀川は、地形が急で、降雨量が多く、常に台風圏内に属するため、例年豪雨の來襲を受け、從來より堤防の決壞は数えきれず、加うるに戰時中の山林濫伐と昭和二十一年の南海震災による地盤沈下のため、下流地域は洪水の危險が大である。ついては本川の改修工事を促進されたいというのである。
この奧尻村は氣候温暖で、海流もよく漁群の來襲に適し、水陸の産物は非常に豊富であり、なかんづく海産物は最近の事例に徴しましても、その年産額約三億万圓を算え、道南の宝庫をもつて自他ともに許してゐるのでありますが、いかにせん電源のないため、加工施設はまつたくなく、原始的漁業操作に営々としている実情でありまして、経済的損失はまことに莫大なものであると思われるのであります。
………………………………… 参議院議員小川友三君提出河川工事に関する質問に対する答弁書 昨年七月及九月両度に亘り関東、東北両地方に來襲した颱風は各河川に大出水を來し、各地に甚大なる被害を惹起し建設途上の國民生活に更に不安を増加した事は洵に遺憾であります。
右の様な現況でありますので、今後の洪水の來襲に際しては護岸決壊し、その被害の甚大なることは明らかであります。よつてこの際國においても本年應急工事を施行せられ、續いて永久的工事を施行せられたいと存じます。何とぞよろしくお願いいたします。
○小林運美君 本請願の要旨を簡單に申し上げれば、長野縣は六月下旬以降連日の降雨のためと、九月來襲のカザリン颱風の餘波を受けて、被害額は實に一億五百餘萬圓の巨額に上つたのであります。
本年七月九日來襲の豪雨による當地方の災害は二億二千八百萬圓の巨額に達しこれが復舊工事の緊急性を新たにした次第であります。しかるに最近復舊資材、勞賃は著しく高騰し、工事の遂行はいよいよ至難の實情にありまして、このまま推移するにおいては、被害を擴大影響も甚大なるものがありますので、急速に多額の經費を配布せられるとともに、高率の國庫補助を賜り一日も速やかに復舊工事を完成したいというのであります。
この奧尻村は氣候温暖で海流もよく、魚群の來襲に適し、水陸産物は非常に豐富でなかんずく海産物は最近の事例に徴するもその年産四億圓を算え、道南の寳庫をもつて自他ともに許してゐるのでありますが、電源のないため加工施設はまつたくなく、原始的漁業操作に營々としてゐる實情でありまして、經濟的損失はまことに莫大なものであると思われるのであります。
なお去る九月十六日來襲いたしました颱風に引續き來襲せる高潮により、第一、第二砂防堤、護岸竝びに船だまり、船揚場等の被害が甚大でありまして、これが災害復舊は一日も猶餘を許さない状態にあるのであります。現下の漁村に課せられたる重大なる使命を達するために、何とぞ本請願の趣旨を了とせられまして、速やかに伊東港改修工事に對し、國庫または縣費をもつてその完成を期せられんことをお願いするものであります。
新潟縣下魚野川流域の砂防工事は昭和二年度より實施されましたが、たまたま同九、十年に來襲せる大暴風雨により、破堤冠水等南魚沼郡はほとんど收穫皆無の状態に陥り、沿岸住民の窮状は目をおおわしむるものがありました。よつて政府當局もことの重要性に鑑み、昭和十二年度より直轄砂防工事を實施するに至つたが、今次大戰の勃發により砂防工事費は程度に削減され、一部は休工状態に陥つたのであります。
本年の七月九日來襲した強雨によつて、この兵庫縣有馬郡が非常に災害を受けました。なかんずく工事關係ではせき止め、水路、溜池、橋等の決壞流出など二百七十二箇所の多數に上つており、耕地の流失、埋沒面積が三百三十四町歩に上つております。この被害に伴うて農作物の被害も甚大であることは申すまでもないのであります。それでこの大災害に對しまして、自力をもつてはとうてい復舊ができない事情にあります。
諸君、過般の台風の來襲に伴う豪雨のために各河川が氾濫し、関東を中心に未曾有の惨禍をこうむり、各地方民が不測の損害を受けましたことは、まことに同情にこたえません。堤防の決壊、田畑、家屋の流出、死傷及び行方不明の者おびただしい数に上ると報ぜられております。これらの被害者に対しては、深くお見舞いを申し上げる次第であります。 ————◇————— 一 國務大臣の水害報告に関する件
しかるに一方大衆漁業におきましては、確かに生産組織、あるいは生産能率、技術等におきましても遲れておつたのでありますけれども、戰爭中におきましてもとにかく四億五千萬貫乃至五億の生産をあげたといいますことは、漁民生活と漁業生産とが非常に深いつながりをもつておりまして、潜水艦が出ようが、飛行機の掃射を受けようが、魚群の來襲を目の前にすればこれを捕らなくちややまぬの衝動を覺えるという、漁民と漁業というものの