1966-06-23 第51回国会 参議院 文教委員会 第24号
使人鴻臚寺掌客裴世清等至る、久しき憶いまさに解けぬ」という国書をつかわされたのであります。すなわち、ここに煬帝が皇帝と称しているのをシナの君主の称号としてこれを用いるとともに、これと対等なわが国の君主の称号として天皇号を初めて用いられたのであります。こうして聖徳太子は隋と対等の国交の妥結に成功しました。
使人鴻臚寺掌客裴世清等至る、久しき憶いまさに解けぬ」という国書をつかわされたのであります。すなわち、ここに煬帝が皇帝と称しているのをシナの君主の称号としてこれを用いるとともに、これと対等なわが国の君主の称号として天皇号を初めて用いられたのであります。こうして聖徳太子は隋と対等の国交の妥結に成功しました。
○政府委員(小畑忠君) 鶴園先生から宮内庁には雇員が非常に多いのではないかというふうなことでございますが、多少、古い伝統の役所でもございますので、そうした傾向はあろうかと思うのでございまして、現在一般職の常勤の者で雇員として遇されております者が二百四十五名おりまして、その内容は使人とかいうふうな、特別の皇室関係だけに見られるような参殿者の案内、その他の業務に従事する者とか、あるいは鷹匠というふうなことで